万事極端に考えない方が良い ほどほどが大事と思いながらおじさんは生活している。例えば「愛はお金では買えない」のは常識であり もっともと思うが、「愛の幾らかはお金で買える」「お金は愛の手助けになる」ということも真実と思っている。

 やくざさんでなくても 人が誠意を見せろと言われれば お金を出すし、好きな人の好きなものを買ってやるにもお金は必要である。甘えられてもお金がなければ・・心だけでは無理がある。奥さんを女性の代表とは思ってないが、奥さんと何十年も暮らして子育て経験していれば・・理想と現実は違うと分かる。生活を支える基本は収入があり、家族のだれもが衣食住に困らないことである。

 なお「お金で愛は買える」ことはよく目にしてきたが、一時的か?見かけなのは確かであるが・・それなりの幸福感は味わえる。生活していく中で大事なことは「バランス」かなと思っている。欲張りに生きてもダメ、無欲に生きてもダメだと言うことである。ほどほどのところに留まるのが良い。

 守銭奴のようにお金を貯めて お金を使うことなく死ぬことは馬鹿らしい。お金は使いたい目的のために使って、使った本人が 心・人生を豊かに出来ることが大事である。あるいは奥さん・子供など自分以外に使って 満足感・幸福感を得られれば良い。最低なのはお金を貯めても、ガレージなどに隠してお札を腐らせたり、誰も使えない・知らない金にしてしまうことである。リスなどが冬ごもりのために木の実を一心に集め貯えて・・冬の食糧難のシーズンが終わっても食べきれなくて残したのと同じである。貯めるものは 過ぎず足らず持つことが大事である。なお当然ことながら おじさんはそういうお金は持てないので・・毎月・毎日ピーピー言っている。幸いなるかな「貧乏」である。

 お金を貯めようとすれば、家族・子供に使う金などがおろそかになり易い。慶弔などで不義理と言うことも出やすくなる。お金の面で心配がなくなっても 家族・時間・信頼といった将来を左右する資源の収支バランスを崩す可能性が大きくなる。何事もほどほどが大事である。

 人生は1回 たまにはオール オア ナッシングとチャレンジするのも大事であると思っている。一応おじさんは子供も独立して 幸いにもパラサイト化してないのでチャンスは巡って来ている。されどチャレンジしたくても「種銭」もなく 心技体もいささか年老いてしまったと感じる。もうあと少し若い状態で チャレンジングな日々を迎えたかったとは思うのだが・・やはり そんなことが 人生の妙味のようである。 ここは チマチマ小市民に生きて・・孫のことを考え・・奥さん・家族ともども 人生を楽しく送ることが大事と感じている。

 最後に余計なことだが・・リスが余計にため込んだ場合 春になり早期に余ったものを食べて、早期に体力を回復しておけば、オスは他のオスに勝ち 子孫を残すチャンスも増えるのが自然界の定めである。まあ ほどほどに上手くやるのが肝要である。ただ 単純に考え納得するだけで話を聞いてはいけない。

 心の中での結論は・・自分に合わせ ゆっくり決めておけば良い。性の違い・個性で結論も些か変わるのが自然界である。「人間だもの」で済ますか? 違う考えで違う方向に行くか? 

 人 それぞれ!

投稿者

おじさん

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