高齢者定義を5歳引き上げるとの意見が政府の経済財政諮問会議であったそうで・・また引き上げ?働かせたいのかとコメントがついてるのに・・そんなことないのだが・・歳が来れば分かる!と思ってしまう。労働人口が減ってるし・・数は力という基本があるので・・働いてくれる方が増えれば生産力維持につながる。浪速(なにわ)の商人(あきんど)風に言えば、「はた(となり)を 楽させる」のが「働く(はた楽)」である。

 年寄りであるおじさんから言いうのもなんだが、年寄りの世話に若者を使うことで、日本の生産性は更に落ちてくる。それだったら年寄りが元気なうちは こき使った方が良いと考えるのは当然である。肉体精神的にタフな仕事は若者に回し、年寄りは力・注意力などを使わない仕事をすれば良い。

 ばあ様からの話では 介護施設の中は インドネシアなどから来た介護資格を持つ若い女性と、中年の日本人スタッフでなどで看てくれているそうである。どうしても力がいる場所で高齢者は口だけで、からっきしダメであるが、運転などの軽微な仕事は大丈夫であるので、高齢者も雇われ 送迎を行っている。この状況は納得の人員配置と思った。そして最近は 介護施設の送迎車もおじさん以上の高齢である方が運転していることも多くなってきた。

 それでよいと思うが・・・ばあ様は怖いと言ってくる。ばあ様を迎えに来る車の運転手が、おじさんの3歳上の幼馴染「まあーちゃん」なのだが・・ばあ様は自分自身が免許を持ったことがないのに 後ろから見ていて まあーちゃんの運転がへたくそで怖いと言う。確かに我が家から道路に出るとき見送った際・・ヨタヨタぶりが出ていた。高齢者は人による落差が大きく 運転技術なども如何ともしがたいことである。ばあ様には悪いが・・道中は田舎道 多少はハラハラドキドキも ボケ防止に良いと思う。

年金

 年金を貯蓄保険と思っている方が多いようだが、おじさんは如何に長生きして 納付した分を取り戻して、増やしていく制度と思っている。従って老後のお金に余裕を持たせるためにも、健康を維持するためにも 元気に働きながら暮らしたい。そして貯えも少ないので 少しでも長生きして 家族が生活に困らぬよう・手を取らぬようにピンピンコロリとなり、生活に困らぬようにしたいと思い生きている。ある意味では 年寄りは年金争奪戦を生きていると思っている。

 年金の繰り下げ制度を作るのも 最終的には税金・保険で取り返し 支払いの総額が減る可能性が高いからである。国民年金などに非常に少ない方はやるべきと思うが、一定以上の年金を受け取れる方が「もっと」「より豊かに」と下手に欲をかくとへまをする。欲を出し過ぎれば・・トータルで取られ 結局やられてしまう。

 年金システム自体に 受取者が減っていくからこそ 長く生き残ったものに 多く分配できる特徴が制度設計からある。自分が収めたものが自分にすべて返ってくるわけではない。納めても帰ってこないので嫌だという御仁も理解できるが、互助の精神が不足していることが明かである。おじさんは能書きたれながら、最後に互助の最終形である生活保護を求めることなどは卑怯かと思う。能書き垂れるのは止めろと思う。名目上収めたお金を 死の直前まで年金は支給されるから、価値があることを忘れてはいけない。

 繰り返すが 年金は一定の金利をつけながら運用されるが、それでは たかが知れている。究極には受け取り時期まで生き残ったものでの、山分けとなると理解すべきである。従って長く生きて受給できれば より多く受給できる。身近に おじさんの叔父は現在100歳オーバーで存命である。ところが子供の旦那は50歳過ぎで亡くなった。おじの年金が月30万円を超えていたので、孫の大学の学費をすべて出してくれたと、子供である従妹からは聞いている。あしなが育英会・遺族年金などだけでは学費を賄えないそうである。

 若造が「死ぬまで働くのは嫌」などインタビューで見るが・・人生は思ったほど長くはない様で・・働くこと・他者とかかわることが大事である。おじさんは 時間はあるがお金はないので、楽しく働いている。お金がないことが ある意味幸せにしてくれている。

 最後に 高齢者の定義「5歳」引き上げ案 賛成である。微力ながらも 社会に参加して働き続けたい。

 万事 金のためだけではない

投稿者

おじさん

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