福岡のイチゴ農家の知人に連絡したところ、今期は 出来る量が少ない上に大きさも良くないとのことであった。先々週末 ソロソロ孫に送りたいとメールを入れていた・・今週前半までは契約分があるとのことで、今週末が都合良いとの連絡は来ていた。
ところが木曜日になっても連絡が来ないので 問い合わせしたのだが・・歯切れが良くない。聞くと 早くも大粒が取れなくなっているのが原因であった。2Lまでならあるけどそれ以上があまりないとのことである。おじさん何時も孫を喜ばせるため、超大粒をお願いするので知人も了解している・・だが今年はそうもいかないようである。
2月初めにも 例年通り姪2人とその子供が喜ぶだろうと送ったのだが、一方は関西なので問題なく届いたが、関東は大雪で・・発送4日目に神奈川に着いた。神奈川向けは最初から標準的あまおうサイズとしていたので何とか大丈夫であった。
農家は今年のような天候には翻弄される。確か2年ほど前には水害でボイラーなどが浸水で壊れるなどした。子供も上の子が高校生になり、数年前にイチゴ御殿を建てたが・・維持・ローンに悩まされつつ頑張っているとは聞いている。
最近は親類が熊本県との県境近い町に住んでいるので、熊本の工場建設ラッシュでの好景気が聞こえてくるそうで・・イチゴの世話が無ければ・・アルバイトに行きたいとまで言っていた。簡単な仕事こそ競争が厳しく難しい。交通・宿泊費考えたら結果は見えてるんじゃないのかな?などの世間話をした。そんな中にあっても おじさんにご高配頂けることは感謝に堪えない。
知らぬが仏
子供にイチゴを送ってもらうと連絡し、2L位しかないよと伝えると、孫が食べ過ぎないので良いとだけの返事が返って来た。毎度のことながら 子供は一消費者と言うだけのような話であるが仕方ない。短く話すので子供の解釈までは突っ込まないが、当たり前という前提を考えておくべきという問題を含んでいる。今年のような時にも配慮してくれる知人への感謝があることを伝えておかないといけない。そう思ってこれを書く。
おじさんが子供の頃、「美味しいご飯が食べられるのも お父さん・お母さん・お百姓さんのお陰です」と唱えることを教えられたが・・お百姓さんも仕事だから当然と思っているなら、考えを改めた方が良い。
ある意味 職業と思えば当たってるとは思うが、それが全てだったら働くということはつまらない。自身のやってる仕事もつまらないものと他人から解されて・・最初から心のない不毛な話になってしまう。
金は大事だが全てではないと同じである。働いている人に素直に感謝ということは大事なことと思う。この社会 自らの仕事・生き方に誇りを掛け、お互いがそのことをリスペクトしなければ・・社会・人間関係などが希薄になってしまう。人同士の基本的関係を考えることが大事と思っている。
たかがイチゴ、されどイチゴである。