おじさんの年齢になると そんなことしてたら 命がいくつあっても足りないと思うので・・そうなることは先ずない。若い頃から「適当が一番」と言いながら暮らして来たタイプであるから、思い込んだら命懸けなどとは 最初から言わない。正直言えば 命がけでもしたいと思えば、何も周囲に言わずにやる。恥ずかしがり屋が根底にあるが、頓挫・失敗しても黙っていれば 周囲が判る訳ではないので・・気楽で良い。正直公言していたことが違ってきた場合 おじさんは 違えば木っ端恥ずかしいから「どの面下げて」となってしまう。そんなことを想像してしまうので・・口にすることもない。

 ところが世間には暑苦しいと言うか 恥知らずと言うか 臆面もない奴もいるので・・スグに思い込んで・・イケシャーシャーと言う奴もたくさんいる。そんなタイプは自分で「こうあるべき」などと言い出したりするので・・ある意味面倒であった。おじさんの住んでいる地区は祭りで太鼓台を出すので 過剰適応というのかそういうタイプが多くいた。従って太鼓などの運行の際は良く動くし、寄付などもしっかりしてくれた。普段から準備作業あるいは打ち合わせに出席してくれるので運営の側からすれば良い人材である。

 究極のところは 人それぞれとは思っているので、口に出すか?出さないか?・・・どちらも難ありと思い、多くは語らない。自分を追い込んでとの覚悟なら・・好きにすればよい。

それぞれ

 山伏と言うか修験道では「慙愧(ざんき あるいは懺悔(ざんげ)) 懺悔 六根清浄(ろっこんしょうじょう)」掛け声を掛けながら山道を進んでいく。山に分け入り 役行者・仙人の如く行動し、人間を超えようとしたのだろけれど・・賛同・応援する方が増えれば・・その組織・修行方法などは変質し・・安全を確保しつつ 多くの信者が参加可能となるように発展していく。また先達(せんだつ)と呼ばれる方が後輩を助けて全体を安全に案内して守る。

 ところが 比叡山延暦寺で行われる「行者」は千日回峰を修行として行う。阿闍梨(あじゃり)と呼ばれる直前には 睡眠時間3時間で 毎日40kmを歩き100日。最後に不動明王堂にこもり、9日間 断食・不眠不休で経を詠むなどする。死を賭していることは明らかであるが、ここまで自身を追い込んで何が得られるのか?人の幸せを祈れるのか?ご本人でないので究極 どうかは分からない。

 日本人は何処にも「神はおわす」の宗教感・世界感を理解しているので、自然の中での信仰とは摩訶不思議なものである。人間と原生林そして巨岩など・・人間のみならず動物・植物の共生・食物連鎖までが 地球上で人類が生きていく世界である。

 難行苦行 釈迦の悟りの話もあるので、何れが良いとも決め難い。物事に命がけと口に出すか出さないか? それでも結婚する時は「終生誓います」と半ば命がけのことを言って約束する。おじさんも 結婚式で周囲に向かって約束した普通人・小市民の一人である。

 そんな訳で 最近はみんな勝手にすればと思うことが多い。50歳まで未婚の独身が約30% 30%の夫婦が離婚すると聞けばそう思う。だが そんな親などに振り回される子供などのことが分からないようでは・・人の親として足りないとも思う。

 あんまり書くと藪蛇にいなりそうなので・・ここ辺りで・・御免して!

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おじさん

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