150円を超えた円安となっているが、同時に石油価格の下落も効いている。経済的には面白い事態になったと考えている。コロナによりお金を刷ってインフレ状態となっている多くの先進国と日本は違ってたのが・・円安が強制的に状況を似せる必要に迫られてきた感がある。日本でも輸入品値上がりに合わせ、物価が上がり賃上げを余儀なくされていく。賃金が上がらないと・・このままでは庶民は悲惨である。

昔からの海外工場あるいは投資などを連綿と続けて来た日本では、やって来た円安で経常収支が爆増している。海外からの訪日客も増えてインバウンドでの業績も上向きである。賃上げ理由のネタに困らなくなってしまった。

読売新聞 記事参照

これこそ給料が上がるタイミングがやって来たと思うが・・日本人全体が中国のような許容して 個別の勝手次第を認めるかと言うことに尽きる。このまま円安を放置すれば 昔あった「円キャリートレード」がリバイバルする。おじさんが口座を持っているネット銀行から、ドル定期○○%などの案内も届くので・・身近になっている。こんな金利で!と驚いている。NISAの制度が間もなく変わるが、一方でこんな金利が為替でつくなら 株・債券は振るわないと見え怖くなっている。どのタイプというか、どこに預けるかで・・投資直後から短期的に損する可能性も高い。

おじさんの葬式代と目論んでいる積立NISAは 旧来のままなので関係がないと思うが、不安がよぎる。出すお金も少ないし 新規にNISAに預ける予定もないので・・お気楽さは変わらない。

話が個人投資に飛んだので・・給料話に戻して・・企業にすれば海外投資なので 多くは国内に持ってこれないと言うかもしれないが、そんな規制をしていた中国から 既に多くの企業は引き上げている。今回は帳簿上で動かせないと逃げるんじゃない!と思う。市場が小さくなる傾向なので無理・・・と昔ながらに 経済団体内で協調を許すようなことを認めてもらえる余裕のある時代ではない。

鄧小平が 豊かになれるものから 豊かになれとした「先富論」を日本人が許容できるか否かであると思っている。今までの日本では一定のボーダーラインを決めてそこに焦点を合わせて来た。多くの商品を販売する日本の会社・人が低価格への努力を続けた結果 インフレなどの影響などどこかに飛んで、いつまでも給料が上がらなくても大丈夫にしてしまった。市場原理に近い「より安くて良いもの」と言うコストパーフォーマンス追及の極致まで至ってしまったようである。

具体的には 化学調味料など使いたくない・・そんなグルメなラーメン屋さんなど売価と原価の採算点が近いものだから・・人件費を削るなどしながら 潰れるしかなくなる。

値上げに 客が付いてこられるか?の見極めが 現在の経営力となっているように思う。そういや 牛丼も同じです。週一すき家に良く行くので、新商品出し、価格設定変遷の巧妙さが分かります。

隣りを見て ヘイコラな奴だと指さして批判などしてるのは ダメである。

「先富論」を許容できるか否かがこれからの日本の指針になると思っている。その後に おじさんなどの年金生活世帯あるいは生活保護世帯などへのベースアップが計れるかも重大な要素となる。中国と違い人・マスコミすべて発言が自由であり、政治的な強制・無理強いもできない。

万能・万全の対策など難しいことと思うが、政治が迅速に動き おじさんのような貧乏人を救済してほしいと思う。やっかんで「人の上げ足を取っる」奴など 変なのが増えて行く世界も見えて来る。

冗談であるが 北斗神拳のような世界だけはなりたくない。でも立ち回り方が下手だと・・へぼ将棋指すようなもので、損を引き受ける。考えながらゆっくりと頑張るしかない。

カレーライス

奥さんがいつもカレーライスを作る時 子供の味となる。子供も育てば 味も変わるかと思っていたが・・そうでもない。孫が来た場合などは カレー味の肉じゃが状態で出て来る。料理と言うものは 味を大人と子供 何れに合わせるかで決まった来るように思う。

カレー店などでこれをしないとなると ラーメンの如くコクと言うか?味の深みを具材を長時間煮込むなどして 辛さ控えめに作らないといけない。あるいは最初からお子様用として作り、メニューに載せないといけない。

おじさんの知人で子供のカレーなんぞ食えるかと・・奥さんに自分専用カレーを作らせていた奴は離婚した。奥さんはお嬢さんを連れて家を出て、知人と息子は知人の実家に帰り親と同居した。家族も「同じ釜の飯を食う」要素を欠いては難しいのかもしれない。おじさんそんなことを見て来たので 奥さんに言うことはしない。つまり 相変わらず小市民して、標準レベルは外食で食べてきた。

カレーのように考えると 低いベースから決めて行けば 従来通りとなっていくことの再現であり、大きく変われない。それ故 お互いが不平等を感じず、どうすれば住み分けられるかの考えを巡らさないといけない。

たかがカレーと言えども 我が家の味付けは変わらない。難しいのは理解しているが どうにかして! (分かりやすくなるかなと思い カレーで例えてみました)

おじさんが子供の頃 デパートの横のレストランでカレーを注文して 余りの辛さに閉口した時、訴えると生卵を頼んで カレーを半分以下に加えたもので食べさせられました。そして無理なく食べることが出来ました。レードルに残ったカレーは 父がご飯を追加して食べていた思い出があります。

同様のことが 所得を伸ばす政治の裁量と分かるが・・妙案は思いつかない。やりながら ケースバイケースで 微妙に舵取りするしかないようである。

投稿者

おじさん

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