7月に叔父が亡くなったのだが、その葬儀の際 喪主の従弟が未婚で55歳過ぎになったことを改めて感じた。嫁どうするのか?と親戚のおばさんが小声で話題にしていた。分家の存続にかかわることなので、本家の方が一言言うかと思ったが、よくよく考えれば本家の家族構成も同様である。よく顔を見ると 本家から嫁に行ったおばさん達の小声での会話であった。責任ないのは・・何時も適当である。
さて 今週の粗大ごみ収集時立ち合いの人間の中で、Sちゃんが 子供3人のうち長男が嫁を貰っておらず、同時に嫁に行ってない娘(3番目)がいる。俺 今年末で会社との契約も切れるので、なんとかなってもらわない・・と言う。その隣に住むSさんも浜松にいる長男が、結婚しようとしないと言いだした。それからは 近所にも40歳前後の未婚の男がいるので、名前が次々挙がってくる。
話しているうちに Sちゃん・Sさん共に 間違いでいいから結婚してくれないかと言い出した。今さら親の責任でもなし、孫の顔を見せてくれたらいいとのことで話がその方向でまとまってしまった。40歳が子供を育てる最終地点だ・・など行き当たりばったりに進み、最後は どいつもこいつも・・と「長男は情けない」との話でまとまる。二人とも 次男は結婚して別居しているので、長男も別居で構わないしその方が楽とのことである。
そう言えば 今春開催したおじさんのサラリーマン時代の同期会でも同じ結論「長男は情けない」に行きつくようで・・何処も同じである。
おじさんなどの世代の多くは 「家」という概念は希薄になっている。子供が幸せであるならそれでよいと思っている。それ故 決めるのは子供の勝手次第と思うものが多い。
時代が変わり、おじさんが若い頃は部落差別めいた話もあったが、今は大きく違う。田舎の中だけなら話題に上ることもあると思うが、人が移動してシャッフルされたような時代である。話題にもならない。
そんな中で話題に上るのは「最近の男女の中性化が進み、子供が性的にこじれたりしてないか? あるいは闇バイトなどに参加してないか?」などのようなことである。
昔は結婚して責任・・と言うのが一種のパスポートようなものであったが、現在のバツイチは「正常な人」のパスポートなのかも知れない。
バツイチ
粗大ごみ収集井戸端会議の中で次に上ったのが・・50男のバツイチは結婚できるけれど、未婚はいけないとの話になった。やっぱり 従弟はダメかもしれないと感じた。
内容的には 人間生きてれば誤りもあり、人を分からず・見抜けず一緒に生活してダメだと分かり、バツイチとなるのもあり・・性的にまともなら 30代前半までは 過ちも犯して当然。酒の席から盛り上がり・・俺がそうだった・・までの意見も何気に出てくる。
現在はバツイチの評価は 昔と違うようである。
おじさんの会社あるいは学校同期にも何人かバツイチはいたし・・そういえばバツイチの40過ぎで、バイトに来ていた女子高校生を 卒業と同時に嫁にした悪い同級生もいた。親子の年齢近いぞ!60歳過ぎの同窓会で赤ちゃんの写真を持って、俺が死んでもよろしくと振れ回っていたのを思い出す。羨ましいと言うか・・・バツイチ ありだな・・・。
そういえば おじさんのバイト先の店長の奥さんは バツイチ・・どうも店長に問題あるらしく・・実子は生まれていないようである。普段の言動を考えれば・・幸せなんだと思える。
結論は バツイチ 結構!