おじさん 兄弟はいるが未婚であるため、両親が一人っ子同士の結婚同然・・そんな環境の一人っ子であるお嬢さんと出会った。少子化・単身化の流れそのままの一族構成である。そんな中で20歳過ぎのお嬢さん一人に2家族のすべてが集中していくのを感じた。

正直言って集中して来るのがお金だけなら良いが、それに付随して色々な事柄での最終的な面倒も彼女に行く。彼女の祖父母・父母・叔父叔母などが死亡すると、遺産などすべてが流れ込んで来るが、同時に彼らの終焉を見守り、見送らなければならない。順番はどうなるかわからないので、負担がすべて来るわけではない。最終的には4人(祖父母)+2人(親夫婦)+2人(叔父・叔母)の葬儀には付き合わないといけない。

結婚すれば相手もあるので、一時的に人数が増すように思うが、相手により集約度は更に上昇する。そんな訳で 受け取る人間は少なくなると考えている。最後まで見守る人間は 人の多さに押しつぶされるかもしれない。

高齢社会は多死社会のため、どうしても引き継ぐ者の数が減っていく。おじさんは 後進に迷惑とならぬように適当なところで「おさらば」出来たら良いのにと思っている。しかし同時に親世代の経済・手間などの都合を考え過ぎた結果とも見えてくる。人口が減らない再生産程度ぐらいは頑張っても良かったのではと思う。可愛い20歳過ぎのお嬢さんに圧し掛かる重さを考えてしまいました。

未来

物事を引き継ぐことには、プラスもあればマイナスもある。不動産登記にて相続手続きが義務化された。現在 手続きを明治から平成・令和と当事者である相続人に任せっきりにしてきた付けが、現在不動産開発での問題紛糾などの原因になっている。

日本の特性として あやふやなまま境界をぼかすことが多い。例えば「死」についての定義はあやふやである。瞳孔が開くなど生活反応がでないことで長く維持されたが、医療が高度になり「脳死」と呼ばれる状態なども発生。何処で線を引くかがあやふやとなった。法で定められていないので、医師が判断するまで・・死亡とはならない。その為 死亡確認は医師等でなければ行わないので、何があっても病院に緊急搬送されるなどする。

日本での新しい見方・目線・問題発生は「境界」にあることが通例である。ブラタモリではないが「際(きわ)」に面白さが溢れる。これからも変わらないと思うが、人生など多くのことを楽しむポイント・コツである。

話が飛びそうなので・・・未来には再度の集約化がされ、定義すべきことが増えてくると見込んでいる。その頃まで おじさん自身が しぶとく残ってこの世に未練を持って生きていると思えないので、ボケる前に適当に引き継ぎをよろしくお願いするしかない。

幸いなことにお金はないが、孫も3人と恵まれ・・ありがたいことだと思っている。彼らが 楽しいことも悲しいことも、分かち合いながら生きていただきたいと思っています。

投稿者

おじさん

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