一昨日朝 叔父が亡くなり昨日は通夜、今日は葬儀となった。話によれば老健施設内で朝5時の見回りは異常なかったが、朝6時の見回りにて死亡しているのが発見されたそうである。

従って 死に目に親族の立ち合いなどは出来なかったようである。

享年83歳とそれなりの年齢となり、痴呆が出したか?という状態であったらしい。おじさんもコロナ流行以来会うこともなく、叔母が1月ほど前に面会したのが最後とのことである。

葬儀も家族葬になるとのことである。生前を知る近親者のみで葬儀を行うことにしたとのことを聞く。我が家から連絡したのは姉のところだけ、おじさん自身は子供にも連絡はしていない。(奥さんが連絡したかも?しれないが・・)

われやさき ひとやさき

おじさん家(ち)は浄土真宗なので子供の頃から、葬儀とくれば「白骨の御文」という蓮如上人の言葉を子供の頃から聞かされるので、「われやさき ひとやさき」とくれば ほとんど空(そら)で唱えることが出来る。死に対する考えを子供の頃から教えられてきたようでもあるが、今の年齢になると生きることの覚悟を教えられたようで、感謝に堪えない。

読んでみたい方は検索すればすぐ出てくるので、ご一読ください。何かの足しにはなるかもしれません。

浄土真宗のお経の最後はワンパターンなようで、最後は「往生安楽国」その前の一節は願以此功徳 (がんにしくどく:願わくばこの功徳を以て) 平等施一切 (びょうどうせいっさい:平等に一切に施し) 同発菩提心 (どうほつぼだいしん:同じく菩提心を発して) 往生安楽国 (おうじょうあんらくこく:安楽国に往生せん)となる。最重要経典 正信偈の末尾と同じパターンである。

叔父の宗派は真言宗であるので、久々に真言宗の葬儀となったので、真言宗について思うことを少し書いて置きたい。

真言宗で葬儀に参列すると・・「せんざい!せんざい!」と読経の中盤で大きい声で唱える。これが出てくると 読経も後7分程と判断する。調べていると理趣経に出てくる「善哉(ぜんざい)」が元になっているらしく、意味で言えば「よきかな!よきかな!」という意味である。なんで良きかなとなるのか?お経を読んだことがないので内容まで分からないが・・何となく納得がいくお経のフレーズ・センテンスである。

大阪道頓堀「夫婦善哉 みょうとぜんざい」と出てくるにも似て・・何気なくわかるような気持ちになる。半ば寿ぐ(ことほぐ)言葉が葬式で唱えられているお経にあることを知っていれば、生きる意味が分かるようにも思える。

真言宗の葬儀は亡くなった通夜の読経時、灌頂(かんじょう)と言われる亡くなった方の額に棒で水を置く・・迷わぬように極楽に送る儀式がある。格式により結縁・伝法等の形があるらしいが、宗派が違うので良くわからない。その他この宗派は、真言なるものでオンバサラ・・などと唱えて手印を切るなどするので、益々分からない状態になる。まあ 宗派が違うのでそれでよしといつも思う。

おじさんは多分 浄土真宗での葬儀になると思っている。我が家の所属するお寺さんは、お願いすれば予算レベルに合わせてくれるかと思います。江戸時代からのお付き合いになりますし、5年ほど前には本堂修理の寄付などもしております。

しかしながら昨日 通夜に伺う際 車の中での会話で、奥さんの会社同僚で荼毘(だび)に付しただけの家庭があったと聞きました。時代の流れに仕方ない話とも思いました。

まあ おじさん死んだあとは分かりませんので・・思った通りで構いません。まあ トボトボ歩いて三途の川を渡る覚悟は持っていますので、ご心配なく!思うままに!

投稿者

おじさん

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です