前回 孤独というものについて、「こもることのない解放されている孤独であるか否か?」と書いた。パチンコ屋さんでの光景を浮かべた方もいたかと思うが、ある意味わかるが・・いささか違う。
人間集団となれば必ず「多数の幸福」を考慮しながら動いてしまう。個人として一寸こだわりたいところがあっても、集団的行動などに従わざるを得ないので、どうしてもやりたいことも我慢する。家族で出かけて子供中心にスケジュールなどを作るので、どうしてもお父さんの希望は・・織り込めない。従ってバイクでソロツーリングするようには、無理が効かない。
こういった話をすればご理解いただけると思うが、一人で動くソロはリスクなども一人で管理する。しかし旅先で出会った場所・人・案内、そしてご飯に立ち寄った食堂などのおっちゃん、おばちゃんとの会話・地元の料理・出来事など・・半ば孤独に過ごすが、出会った際会話に心がけると、新たな世界が広がり知見が増える。
おじさんは高校生の頃 一人列車で九州を4日間ほど 肩に荷物を担いで旅行したことがある。1日は親類の家で止まったが、3日は野宿と夜行列車であった。野宿と言っても・・当時は適当に 駅のベンチで寝ることにも寛容であり、駅員さんも何も言わなかった。みんなそれなりに貧しく、緩やかでもあり 夜行列車などが多く走っていたので、おじさんのような人も多かった。
もちろん大学生以降になっては、バイク・車で・・ソロとなった。ソロ走行は運転の安全も自己管理であるが・・メカ・エンジントラブルなどあれば自分で対処しないといけない。そんなこともあって簡単な車両整備などは自分で行うようになった。それが今に続き 農作業機などを自分で整備する遠因である。大型でなくてもバイクを押しながら、整備工場まで歩くことはキツイ。そうなった時は適当に走れれば良い あるいは応急的に走れれば良いと挑戦したのが始まりである。
なお いつもの蛇足であるが、弄って壊れるというか壊してしまう分かれ道の手前で留まれるのはセンスである。従ってこの種のセンスのない方は 下手を打つことが多いので覚悟はして置くことである。しかしおじさん同様 壊れる限界を試すのが好きな方も多いので、お止めはしない。人それぞれ。挑戦される際 心の片隅に持って置くのが良いと思う。
話が横道に入り出したので・・
解放されている孤独であるか否か?で、好奇心と冒険心が生まれてくる。人と出会い、話しいろいろ学ぶからこそ孤独は大事であると思っている。交通事故・メカトラブルなどのリスクを下げるのがグループツーリングであるが・・おじさんはグループは面倒とも思ってしまう。
基本的に おじさん一人で勝手気ままにすることが、好きなんだと思っている。
2ストロークエンジン
おじさんが教習所以外で初めて車を運転したのは、スバルR2と言われるVWビートルを小さくしたような車スバル360の後続モデルである。車の免許を取ったのだが、学生の身では・・・買えないが、家の共用車ということで、父が歴10年近い車を買っていた。おじさんの姉弟が免許を取ったので、何処をぶつけても大丈夫ということであった。最終的には おじさんの姉弟がガードレールでドアをへこませ、ブロック塀に4コーナーをぶつけ・擦り、修理費ももったいないと廃車となった。
おじさんは まだぶつけてない状態で初めてハンドルを握り、四国八十八か所の香川と徳島の範囲を巡った。爺さん婆さんも長くないと分かっていたので、納経帖・帷子(かたびら)などを棺桶に入れてやりたいとの父の話と5万円の旅費を出すとのことで・・話がまとまった。バイトを1週間休み・・道端・海岸でビパークしながら車中泊。時間と経費削減のため 食堂などで食べるのを減らし、昼はラーメン 夜は冷蔵不要の日水の魚肉ハムを焼き、飯盒で飯を炊くなどした。この時コールマンのシングルストーブを知人から借りたが、これがコールマンとの初めての出会いでもあった。この時代 現在定番となったものが多く出てきた。サッポロ味噌ラーメン・日清出前一丁など パッケージも同じ様にして、今も発売されている。
スバルR2 丈夫な2気筒2ストロークエンジンであったが、過酷と言われた太龍寺・大窪寺などをギリギリ登れたというレベルであった。旅の最終 徳島日和佐からの帰路 シリンダーガスケットが破れて1気筒が死んだ。何とか時速15Km程度で走れることが出来たので、徳島市内のディーラーまで走り、ガスケットを購入して、工具を借りてスバルの方に聞きながら修理した。これが初めての自動車修理であった。場所と道具を借り 知恵も借りて・・厚かましいこと・そんな申し入れを頼み込む・・貧乏と若さのなせる事柄である。でも これが新しい領域を広げてくれたと思っている。
交換したガスケットを見たスバルの方が 締め付けボルトの片締めによるエンジンの組立ミスとしてくれ・・最終的にガスケット代なしで、夕食をご馳走になった。まあ 今では考えられないのんびりとした時代であったからと思う。
全てが発展・成熟していく過渡期を見ながら、子供の頃から大人まで過ごした。そんなことが現在のおじさん自身を作っているように思う。家庭菜園をすれば・・子供の頃 見たことを真似していると思うことがある。体に染みついたいろいろなことを改めて感じている。