病気で死ぬことを考えた時 最初に思うのは「苦しみたくない」である。眠るようにというのが理想である。また意識を失い、気が付かない間にというようなのも良い。

長期入院と治療 どうにかしても延命していくのが現在の医療である。尊厳死のように医療行為を中断することは本人・家族そして担当医の間で一致しなければ出来ない。例えその時点で一致していても、家族の一人が異論を唱えれば・・ひっくり返され補償問題などが発生する恐れがある。医者もおいそれ応諾できる話ではない。

最後まで治療するのは、医師がすべての患者に対する義務でもある。医者が全ての患者に同じ様にベストを尽くすから信頼される。医師が特例を作ることは・・自身を貶める。

補償する主体が決まっていれば良いように思えるが、それでも金銭的要求を出して、ひっくり返しそうな人間が出て来る恐れがある。日韓で補償する主体は韓国政府と条約で決めているのに、韓国民は日本政府あるいは日本企業に請求する。オマケに裁判所まで請求を認めている。同様の事態が発生する恐れがある。まあ 変なのがいるのは当たり前と心得て世渡りしないといけない。

そんな訳で医者は最後まで延命と分かっていても治療しないといけない。医者としては仕方がないことと思う。そんな本人の意思を否定することを防ぐには、尊厳死について法で定め 本人の意思で実行する場合には、裁判所で命令を出して決めるしかないと思う。

ついでにおじさんの意思を明確に・・治療しても死ぬ可能性が50%以上なら適当な治療で良い。無理な手術も望まない。ほぼ70年近くやりたいことをやりながら生きて来れたことに感謝している。従ってこの先もしっかり自分の意思で人生を楽しく、最後まで生きて終わりたい。無理な負担となる高額医療も必要ない。残されるものに負担とならないのが一番と心得ている。

最後の瞬間を自宅で迎えるのは難しい時代である。死亡診断書(死体検案書)なども煩雑となるので、入院するのも仕方がないと思う。出来れば入院期間は1週間程度でありたい。当然ながら「ぽっくり」逝けた場合は 万歳三唱!喜んでいただきたい。

そうは言っているが、希望が叶うかどうかは分からない。その際は最低限の治療・医療行為で良く、延命治療は消極的にお願いしたい。

落語の世界

関西落語界で異才をはなった故 桂枝雀は、「夏の医者」「ちしゃ医者」など医者関係の落語で、最初に振る「まくら」で「でも医者」、「やぶ医者」、「葛根湯(かっこんとう)医者」、「手遅れ医者」などがいたというネタを使っていた。江戸時代は医師免許のない時代であり、誰でも医者ができたそうで・・色々やってみたがどれもうまくいかなくて「それなら医者でもやってみるか」というスタートが始めである。

「でも医者」は言葉通りにとって、ご想像頂けると思い 書かないで済ませます。

「やぶ医者」というのは、平生は流行っていないが「風邪」が流行すると、仕方なく人気のない医者でも人が診てもらいに来る、「風邪(風)で動くからやぶ」という説がある。別の「兵庫やぶ町出身の医師が高名となり 詐称蔓延から意味が逆転」という説もあるので調べると面白い。「葛根湯医者」は漢方薬である葛(くず)の根を煎じて飲むと、発汗作用があり熱が下がるので使われていた。薬害もなく安価・手軽に使えるのでどんな病気にでもこれを出す医者がいたところから来ている。

手遅れ医者は、「なんでもっと早く連れてこないのだ、手遅れじゃ」という言い訳を最初から患者に伝え、治ればラッキー・名医と思わせる次第である。

桂枝雀の落語というか 最初の枕の振り方を見せたいとYouTubeで探したが見つからなかった。三遊亭圓生師匠の落語などもあったが・・枕は 矢張り「さらり」としている。時間があれば探してみたいと思っている。

おじさんは既に大きな義務・責任もないので、人生最後の医者は・・まあ落語に出て来る「迷医」で十分と思っている。

投稿者

おじさん

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