野球中継などを見ていて、風呂に入った20分とか トイレに行った5分に「あるある」は起きると経験しているので、そんな時はついついトイレなどを我慢してしまう。
しかし「あるある」は起きなかったことの方が多い。その為最近はライブで見ている最中にも外付けハードディスクに記録して・・「あるある」があっても自己完結的に補完するようにしている。
なおこの行動は 「あるある」の他 歳のせいか?番組がダレると、途中居眠りしてしまうことも原因である。
再度見る際は 時間遅れで再生しながらライブで見たことにしている。単なる自己満足で‥幾らか余計な資源を浪費する。結果は決まっているのに 分かるのは何分後であるので・・自身でも変なこだわりとは思っている。
「あるある」なぜなんだろうと不思議に思うが、逆に知人などからも「あるある」話を聞かされ、やっぱりね!みんな一緒と妙に納得する。
後悔にも似た感覚があることをどう付き合うべきか改めて考えて見る。暇人はどうでも良いことを考え実行してしまう。
生理
その根底の第一には 悲しいかな人間は生きていることが理由である。生理現象を止めることは無理がある。例えばトイレを我慢しようと思えば、おむつを付けるしかなくなる。正直 理由もなければ・・余りおむつなど付けたくない。またその姿を想像するだけで・・嫌になる。
まあ ノコギリヤシエキスのCMを見ながら あと10年もすれば・・・一緒かなと思うので現状では避けたい。おじさんなりの美学がある。
風呂場とトイレにTVでも設置するのも、最近は防水あるいはワイアレスTVなどもあるので簡単に設置できる。出来ないのは・・貧乏なのと奥さんから批判を受ける恐れが大きいので、無理をしないことによる。
この辺りをしっかり理解すると 哲学的には「人間は形而上で生きられず、形而下でしか生きられない」ことと理解できる。如何なる高邁不変の哲学さえ・・生理現象に敵わぬ(かなわぬ)要素である。
「真理・幸福などは常に足下(そっか)にある」ものと心得たい。(「幸福」を足した パクリですが、西洋真理論の基本と思います。)
一期一会
サッカーなどであればゲームが連続して攻守を変え戦うので目を離せない。ところが野球はスリーアウトで攻守が入れ替わる。CMもタイミングよく挿入され、ホームランなど何か起きればCM後ビデオ再生されるので・・「あるある」があっても3分後に解決されると思うようになったのかも知れない。
子供の頃はビデオなどなかったので、ほとんどの番組は「一期一会の覚悟」とまでは言わないが一心に見ていた記憶がある。コマーシャルになった途端・・トイレに走って婆さんに怒られた。
ビデオが出てきて以来 人間の覚悟が甘くなることを憂うことまで考えはじめた。失敗を許されない仕事感などまで思い至ると・・やっぱり美学だよな。
色々考え過ぎてしまった。まあ 適当に乗り切ろう! 本日も変な話で お騒がせしました。