日本では現在も元号が西暦(グレゴリー歴)と共存して使われている。おじさんこの元号が好きであり、江戸時代となにか結び付きがあるように思っている。
元号は1979年制定の「元号法」(昭和54年法律第43号)によってその存在が定義されており、法的根拠があるが、その使用に関しては基本的に各々の自由で、私文書などで使用しなくても罰則などはない。また 西暦は元号法のような法律による何かしらの規定は存在しない。
元号法制定にかかる国会審議で「元号法は、その使用を国民に義務付けるものではない」との政府答弁があり、法制定後、国民に元号の使用を強制しないよう注意を喚起する通達が出されている。
元号法は「元号は政令で定める事」「元号は皇位の継承があった場合に限り改める事(一世一元の制)」を定めているにすぎず、公文書などにおいて元号の使用を規定するものではない。
明治以前は世の気配と言うか、悪いことが起きるから・気分一新・・など結構適当に変えられていたようだが、現在は天皇の代替わりの際と決められている。
老婆心ながら天皇陛下がなくなった後は「昭和天皇」などと称される。存命中は「今上天皇(きんじょうてんのう)」とお呼びするのが常識である。
昭和元禄・平成宝永
おじさんが中高生の頃 「昭和元禄」との言葉が流布した。池田勇人首相が掲げた「所得倍増計画」によって、日本は高度成長への道を一直線に進んでいた。まさに 高度経済成長期の天下太平、奢侈(しゃし)安逸の時代をさした言葉である。昭和39年(1964)に のちの首相 福田赳夫が言い出した言葉と言われる。
社会の動きは物質至上主義が幅を利かせ、レジャー、バカンス、その日暮らしの無責任、無気力が国民の間に充満し、江戸時代の元禄の世相が支配していると語ったことによる。植木等の無責任シリーズが持て囃された時代でもあった。
バブルの前におじさんはこんな時代を過ごしていた・・貧しさと豊かさが複雑に絡まる時代であった。高校生卒業の頃からバブルの時代が始まる。日本人の価値観などが激変した時代でもあり、豊かさが前面に押し出してきて・・それはそれは・・楽しい時代でした。
昭和元禄猿芝居の如き配役で 造り酒屋がご出身で 小指立てこれで辞めましたと言った宇野宗佑75代首相 その後 小指立て「私はこれで会社を辞めました」と禁煙パイポまで思い出してしまいます。お調べいただければお分かりになるかもです。
また 時代背景と言うか社会がどんどん変わりました。先日開催した同期会において、おじさん六本木にエスカイヤクラブ・法華俱楽部などがあり、下請けとして取引していた企業の御曹司(常務)としばしばそのようなバニーがいるところにお邪魔していた旨の発言をしたところ・・・その企業は潰れ・・そんな目にあったこともないと・・言われてしまいました。数年の時差で変わっていくレスポンスの速い時代でした。
いつの間にかバブルが崩壊し・・「平成」と変わり・・数年後 おじさんも東京でのサラリーマンライフに別れを告げました。
岡山出身の磯田道史(いそだ みちふみ)氏の著書に「平成は宝永」に当たるとの記述を見つけました。おじさんも富士山の宝永火口と東日本大震災などありましたので、平成は災害多発の時代かなと思っていました。同じように考える方は多いようです。
そうすれば 江戸時代で言えば、 正徳は短かったので 令和は享保かなと思えてきました。徳川吉宗・田沼意次などが出て来ます。社会が成熟後の衰退過程での中興あるいは漸減と見られる時代です。
さてさて 令和はどんな変化をするのでしょうか?どんなリーダーが出てくるのでしょうか?