「こども」を書いていた時、子供のことを過剰に考え過ぎないことなどを書いた。それにはおじさんが育った昭和という時代の特性が反映していると思う。
おじさんより10歳ほど上の方が、兄は国立大学を出て 学校の校長先生。真ん中は高卒で働いて工場の職人さん。私は私大を出たけれど・・奥さんの実家の家業を継いで小商人(こあきんど)と自嘲気味に話していた。おじさんも同様なのだが、親も高学歴でもなく、誰もが適当に育って来たので 子供の進学などはあまり考えなかった。産めよ増やせよの直後の時代であり、兄弟全てが優秀とは限らないと分かっていたと思われる。おじさんも然りである。
おじさんは偏差値と言うものが大学受験で最初に取り上げられた世代である。旺文社の模試で初めて出て来て、大学の合否を判断する目安となった。それまでは高校の試験などで進路指導などの教員から先輩がこうだから・・大学は○○でも難しいと言われたりした。それ故 受験での番狂わせなどはしばしば起きた。
おじさんの同級生の多くは夢を見て受験し、念願をかなえたもの 予想通り敗退したものなど色々分かれていました。またおじさんの時代にはセンター・共通一次などはないので、大学の学部入学成績はバラバラで基本一発勝負であり、ふたを開けるまで結果は分からなかった。それ故 入学した学部内同級生でも成績に大差がつくということが多かった。どちらかと言えば家庭の経済事情で地元の大学ということも多かったことも原因とは思う。
偏差値
子供の受験時 久々に偏差値を見た。おじさんの感覚で言えば偏差値70超えるなら東大・医学部進学 偏差値65以上なら有名私立・国大進学であり学部により変化が出て来る。
経験的に偏差値のカーブはフタコブラクダ背中の曲線に近いようなものであると分かっていた。一定のレベルに到達した集団と一定のレベルに達しない集団を重ね合わせたような形である。従って正規分布でもないので、少しの差が大きく捉えられる傾向と少な目に捉えられる傾向・判断が出て来る。
従って偏差値の曲線によりどう判断すべきか?確率統計をある程度習っていないと判断できない。素人考えと言うか単純に考え過ぎ、自ら夢を諦めた・なくした受験生は多いと思う。正直たかが偏差値の差が2以下なら、当日の体調・運でいくらでも変わる。偏差値の重きをどう評価するかで・・最初から早合点して負け犬になってしまう。人間はチャレンジャーである時に力を発揮するのが常である。
序列を安易に決め、重視するあまり自分はこんなものと思うことは止めておいた方が良い。また おじさんの時代に大学受験に面接などは無かった。しかし医学部などでは面接が取り入れられてからは、単純に成績順と言うことも疑問が出て来る。また医学部受験などで3浪以上するのは、最初からハンディを付けて受験するようなものである。
おじさんは子供の進路についてアドバイスしたのは 以上の経験などから出した。正直今も間違っていなかったと思っている。基本はやりたい目標があり、大学他に進学することを忘れてはいけない。「取り敢えずビール」とか「合格できる」というような学校を選んではいけない。
序列
人間下手に序列を意識すると人間はダメになる。旧日本海軍ではハンモックナンバーと呼ばれ、任官した時の成績順序が一生付きまとった。現在の官僚のキャリアと同様である。しかし人間は各々成長していくので 20歳代のまま能力差が維持できないのが当たり前である。
何歳からでもチャレンジしていけば、人は変わることを心に刻むべきである。その結果を上手く社会生活・会社生活などに展開できる才能を持てるか否が、次第に評価を分けていく。
学問的なことから相対的評価して決めたことは、世の中で長い期間は続かないと思っている。学問的なことは参考とされるだけのことが多いが、それによって鍛えた自らの能力・感性と交渉力などに期待して、一時期に判断されただけであると理解しないといけない。ふとしたきっかけで人を変え、逆転が起きる。
例えば 遅生まれの子供が 早生まれの子供に追いつくのは小学校低学年である。それまでに体力・知力で劣っているのは仕方がないことである。でも 小学校5年生にもなれば同等になっているはずだが、多くの場合幼少期に感じた劣等感に似た感覚が残ってしまうことがある。経験とか思いこみが 自身を誤解・潰すのに近い。その為 ちょいとした「きっかけ」が、階段を段飛ばしして上がるように 逆転させることを見たことがある。まあ そんなことが人生にはゴロゴロある。
序列が死ぬまで続くと思う感性は捨てた方が良い。おじさんの経験では35歳頃に、思考力などでは逆転する場合が多い。記憶力・記憶量では50歳近くまで追いつかないことが多い。従って昔 優秀と言われた方は「以前から・・」などと過去からの経過を根拠とするフィールドで戦って来る。従って 対抗する気なら 同じフィールドで戦う注文相撲めいたことはしない方が良い。
ただ頑張るだけでは・・中々 自身の心に作った序列を崩すのは難しい。おじさん自身が高校2年生の時 算数が一定の目標に届かなかったことがあり、中学校の1年生に戻ってやり直した。基本的考え方のミスというか?中学生の時からいい加減だった事、間違えやすい解き方・書き方などをしていたことに気付いた。1か月毎日16時間以上 中学1年から高校3年までの算数・数学だけをやり、それなりのスピードで終えた。気付けば中学の算数など加速がついて10日もあれば全体復習出来ていた。最後には高校3年の数Ⅲの大半が終わっていた。
算数・数学に限らず何事も「アホになりきる」ことが大事と思っている。なお武士道の教本とされる「葉隠(はがくれ)」には「死に狂い」との言葉もあり・・「アホになりきる」も同じようなものと思っている。
分数が出来ない自身の子供に同じやり方に近い状態で教えたことがある。2か月後には算数が学年トップ5以内になっていた。
理由は子供がとある高校への進学がしたいと言ったのだが、「無理をすることもない。別の才能があるのだからそっちをやれば良い」と言ったところ、「差別するのか・・?」と言われた。それならとおじさんが算数を教えた。やり方は高校になっても同じと伝え 以降教えたことはない・・。
人間は ふとしたことで弱点・差が生まれ、拡大していく。自身が体感したので、そう心に刻んではいる。でも・・覚悟があれば欠点を潰すことも可能である。