一昨夜はサッカー日本―ドイツ戦が大盛り上がりしたようで、行幸の極みとなりました。勝って勝ちまくるのが理想ですが、喧嘩と同じで一発でも殴っていれば・・後が「それなり」でも納得がいくのが人というものです。スペインがトンデモナイ得点差で勝ってしまい順位決定では特別な要素が加わったように思います。取り敢えず 厳しくとも本戦を目指して、日本代表には頑張って頂きたいと思います。

おじさん性格的に「やって見なけりゃ 分からない」と生きて来たタイプの為、サッカー・バスケではゴールにシュートするのが基本。シュートあるいはゴールに打つことが結果を出すためには 大事と生きてきました。

例えば 気の向くまま四国山脈の中をドライブした時、山奥の川につり橋が掛かっていれば、車を止めて 橋を渡ってみる。ボロな橋で風に吹かれて規則的に揺れる中、渡るにつれて揺れが不規則になり、思わず足元を見て高さに驚き足がすくむ。向かいは森林となり鬱蒼としている。ここらで良いかとセンターを過ぎたところで車に戻る。自分で遣り、体感しないと何も得られず、楽しさが分からないと 中途半端ながらもやってみる。そして得られるのは「やっぱりつり橋だね!」である。結論は見えているが・・得られることも大してないが・・反省はない。

そんなことをしながら、どこかそれを楽しんでいる自分を発見する。自ら 我儘で難儀な性格であると思うこともある。

吹く風に

吹く風に吹かれながら 来し方行く末を考えると、どう考えても行先は老人。どんなに抗っても歳には勝てず衰えていく。「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった」は川端康成の有名な一節であるが、おじさんなどは「トンネルを抜けると そこも森の中であった」というような半生だった気がする。

多くの方が体験しない脱サラしてみたが、激的な変化ということもない。川端康成のように「夜の底が白くなった。」と出て来るまでは体験したこともない。でも 好きなことをしながら生きてこれたと思う。

人生というのは自分一人で決めていけるものでもなく、周囲のメンバーに恵まれぬゴルフにも似ている。直ぐに腐る奴、絶好調な奴 その間にあってどうしたものかと思いつつ、お互い気持ちよくプレーしたいと・・自分自身は何となく邪魔にならないように努めて来た感じがする。

まあ 何処かでゲームと割り切りも 早くホールアウトすることを望んでいた。そんなことを体験した結果、自身に素直に生きられればそれでよいと思う。

サラリーマン時代 退職された方から「大過なく・・」というハガキを頂いた。若い頃は違和感があったが、今では「大過なく」が理解できるようになった。

新芽

ホウレンソウのタネを播いたのだが、後学の為 水に漬けていたものとそうでないを分けて植えた。今朝 畑に行くと 水に漬けていたタネの箇所が幾らか盛り上がって数本新芽が出た。少しばかりの好奇心を発揮し、やって見て結果を楽しむ。出ているのは1cmほどの双葉である。

朝露の中 タネを播いたスジが割れたようになっているところもある。間もなくここに・・と思うと生命を見たような気持にもなる。

どこに流れていくか誰も分からない中で、風の吹くまま流されても 何かに気付いたり、何かが見つかる。

ヨットを風上方向に上らせるような若い頃した無理やりなタッキングも良し、下りながらのジャイブも良し。趣くままにやっているようで、漁船などを避けながら ご迷惑を掛けないように・・色々あるのが人生である。今の体の堅さではジャイブなどではブームに頭を打って・・想像して自分で苦笑いしながら 同じ様なものだと思い無理はしない。

風に流され流されるままに・・人生を楽しむ。でもこの先を余生にはしたくない。

投稿者

おじさん

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