「成り行き任せ」なんと言っても自然な感じが良い。
本日は不燃ごみの回収に朝から立ち合い、スプレー缶などのガス抜きされていないものもあり穴を開ける。配置・役割分担は決まっていないのだが、その時のメンツにより仕事が自然に決まってくる。成り行き任せで、本日はおじさんスプレー缶担当になった。
季節の変わり目なのか、防虫剤スプレー缶が多く、ノズルのプラスチック部品の取り外しが面倒である。清掃局との話し合いで、やらないといけないと会長からは聞いたが・・自治会員さんには周知していないのか?ほとんど付いたままである。外し方を考え、大胆さがないと力ばかりを使う。
また 季節の変わり目のためか、すだれも捨てられていた。ゴミ袋に全体が入っていれば問題ないのだが、半分が飛び出している。出す方が半分に切っていれば問題なく収まるのだが、半分飛び出したままである。こんな時は回収に来た職員により対応が変わる。夕方どうなっているのかが楽しみでもある。残っていた場合は現在 家庭菜園の雑草を抜いた後 数日乾かし別の畑で燃やしているので、おじさんが回収して燃やすとした。成り行きで・・回収して燃やすことを引き受けた。
最後に いろいろなタイミングで成り行きだけに任せれば、最もいい結果は得られない。どこかで無理やりというところがないと、いけない。
愛しのあの子が振り返るまで待つようなことは・・あるいは不動産にしろ 骨董にしろ、これだ!と思ったものは 落ちて来るまで待つだけでは手に入らない。踏み込んでお金と危険あるいは心が傷つくことを覚悟しないと手に入ることは出来ない。
成り行きのみでは少し足りず、無理矢理と言うと失敗も多く体験して来た。されど 無理矢理やってしまった結果の後悔の方が、何もしなかった結果の後悔よりはるかにましである。
成り行き外で どこかで引っかかるようなニアンスが出てきて、普段はしないのは理解できるが・・それだけでは人生面白くない。そんな訳で おじさんは成り行きのまま 生きていくことは嫌っている。
隣の芝生
酒宴などで 成り行きで注いで注がれてという場合もよくある。マイペースでやりたいのに、相手のペースに巻き込まれる。「独酌天国・宴会地獄」たるゆえんである。
同様に 常に誰もが勝手気ままに生きられる訳もなく、どこかで必ず引っかかるものが出て来る。たまに知人の家庭状況を羨ましく思うこともあるが、多くは隣の芝生と思っている。
今回の不燃ごみ回収でも「細谷のおばあちゃん」が話しかけてきた。細谷のあばあちゃんは ばあ様より2歳上である。ご主人は亡くなり、子供は転勤先で定年退職そして家を建てているので帰ってくることは無い様である。従って独居高齢者であり、面と言わないが自治会内の見守り対象となっている。
このおばちゃんが、我が家のばあ様は 子供と同居出来て幸せだとおじさんに言って来る。でも同居している場合の家族間の「めんどくささ」に対する気付きがない。どうしても普段感じることが無ければ、感性が落ち鈍感になるのが人間である。
成り行きだけで生きていると同じ状態になるようで 良くないと思っている。
流れ
自然な流れを 成り行きに見せかける・利用することも大人として大事なことである。
語弊がある言い方だが、利用というのではなく 自然に回ってくるあるいは皆が納得するように、落としどころに落とすこととお考え頂きたい。
だが 逆に自身に都合よくなるように計画する・暗躍する人間もいるので・・世渡りには注意が必要である。基本は話があった時に、キッチリ合理的であるか否かの判断をすることである。また 次の段階に進んだとき誰が最も利益を得るかなど・・次を考えることである。
でも「仕方なかった」と思わせてくれる創意工夫は尊重する。「若気の至り」のように済ませることも大事である。
それ故「人の誘いも乗って見る」ことも大事と、思いながら生活することも大事で有る。新しい道が見える時もあるので捨てがたい。でも結果は 自分で受け止めないといけないのが・・つらいところである。責任を無条件に他者に持っていかない覚悟して、覚悟を持って生きることが大事である。これも難しいのだが、これがないと偉丈夫・漢(おとこ)には成れぬようである。