安倍元首相の国葬 マスコミでは廃止を求めるとした人々と支持する方の映像はたっぷり流れていた。アンケートでは賛否がほぼ半々であった。
ところがふたを開ければ多くの方が集まり 献花に訪れていた。日本人の死生観を否定するようなアンケートをした結果であり、その結果との齟齬が見えたことに マスコミの猛省を期待する。
日本人の サイレントマジョリティがいずれであったかは明確なようである。同時に過激な集まりでは、日本人としては許せないような光景もあったようである。おじさんなどから見れば、親の顔が見たいというほかない。
大事なこと
マスコミ系の唱えることは「政治利用」の一点に集約される。正直 天皇崩御の際は国葬と定められているが、その他の場合は内閣の決定による。国葬について イギリスのエリザベス女王と比較したようなおバカな意見も登場していて・・面白いとは思った。
葬儀実施を国会で議論してとのご意見もあるが、それならば次の国会で 実施についての法案を反対派・賛成派が出して協議すれば良い。毎度のことながらのど元過ぎれば・・と話が収まる。法案を提出し協議することが、今回のような 不信を増長し・品のない行動 あるいは政治利用を防ぐ最も大事なことである。
配慮した行動を起こさず、その場だけ騒ぎ立てる・・それが一番悪いことである。
国葬をキッチリとしたいなら 静かに行動すべきである。それ故 共産党系の方からの法案提出を楽しみにしている。
マスコミに求められることは両論併記・情報の同質性。社会を分断することではなく、させないあるいは繰り返させない方法を考えるネタ供給である。写真などを見ていると献花列と反対派デモの密集状態に意図的錯誤を狙っているのが見て取れた。一方に肩入れするな!
リスペクト
人の死に対してのリスペクトなくしては、日本人と思えない。今回の反対されている方を見ると感じる。反対であっても静かに送ってやれないのかと疑問が湧く。親の顔を見たいと迄 思った。全共闘世代を大学・社会人でも直ぐ傍に見て来たが・・おじさん 反対運動に参加した方々の感性が理解しがたい。
日本では 昔から葬式と火事は村八分外と言われる。これらの事柄は 村の中でのけ者にするような差別とは無縁である。人によっては疫病の蔓延を防止するためなどという方もいるが、昔の衛生観念からすれば間違いと思う。これなどは明治がとなって西洋医学の広がりから生まれた考えと思う。
死ねば仏とするのが日本の自然な感性である。往生したものへの手向け(たむけ)である。そのため平家物語などでは念仏を唱えれば 万人は往生できるという宗教観が平安後期から語られ、明らかでもありまた続いてきた。今回の反対派の行動で、日本人の宗教観・感性が無くなりつつあるようにも思えた。悲しむべきことと思う。
一部のバチが当たりな行動を取った方々には反省されることを望む。でも 今回見た全共闘世代までは無理かとも思える。付ける薬も思い浮かばない。