先日 近所の道路にはみ出した部分を刈り取るのを手伝ったのだが・・昨日缶ビールをもって近所の息子がお礼に来た。お気持ちだけ頂きますとして その場で缶ビールはお返しした。
逆に 昨日家の入り口の木が更に刈り込まれているのに気付いたので、このことがうれしかった。自主的にさらに踏み込んだ行動を取ったことを評価していた。だが 彼には伝えなかった。
人の信用を得るのは コツコツとした積み重ねである。従ってある程度の注意力を常に使っていないと、繰り返していかないと 評価する人間の判断を誤るあるいは判断をサボる。信用を得たいと思う人間も同じである。
だがそのあまり・・注意というか?厳しいなど、人間を過ぎた目で見れば・・しっぺ返しがくるものである。どう生きるべきか?人をどう見るか? 人間に迷いは尽きない。
奥さん遠出
本日は奥さんが子供の家に出かけたので、晩御飯はおじさん担当である。何を作るべきか考えて見るが、夕方スーパーに行っての タイムバーゲンと見切り品と思っている。まあ 行く前には ばあ様の欲しいものを聞いてやらないといけない。
なお朝一から 奥さんからショートメールで「冷蔵庫に卵置いてるから」とのメールが入っていた。見なくても気付いて卵は冷蔵庫から出したが・・・面倒なので返信はしていない。
今回もそうなんだが 奥さんの取り仕切った感のある行動・言動はどうしてだろうと思うことがある。
驚嘆な話 子供のところに行って・・・何をするのだろうと思う。子供は仕事しているので、子供で勝手に生きていくことが出来る。独立した大人であるから 自分に足りないと思えば、勝手に何かしだす。おじさんの料理好きの友人では スパイスを集め、オリジナルカレーブレンドを楽しんでいたのもいる。たまに試食させられて・・・これが「通」なのかと思った時もある。自分が好きな味を追求するので・・・さもあることと思った。
おねーちゃんと一緒に暮らしているのもいた。知人に碌な奴が多かったためか?悟りが開けてしまった。結果 子供にも子供のプライベートがあると関知しない。
奥さんは自分が中心主義なので あの取り仕切り感が生まれるのかもしれない。でもその自信はどこから来ているのか?としばしば疑問が湧いてくる。
ラーゲリ
子供の頃 父から聞いた言葉「ラーゲリ」がある。ロシアにおける強制収容所を指す言葉と教えられた。父はシベリア抑留を受けた。父からロシア人が個別にはいい人も多いが、システム的に人間不信が植え付けられているとは聞いたことがある。多分 協力者・密告者など入り混じった中での生活をしているので・・・生きるための知恵のようなものであると理解している。
正直 日本のサラリーマン社会あるいは実社会も似たようなものである。常にすべての人間が信用できるものではない。しかし日本・アメリカなどの自由主義国家では「人間の良心を信じる」ことを基本的に要求される。しかし理想と違い、人の世では怪しい方もいる。
判断した結果は自身が受忍しなければならない。つまり自由世界ではそれなりの注意力が無ければならない。厳しいことであるが 現実である。それ故 人から対人関係の悩みは尽きない。
悩みなど在って当然の事なので、自分が変わらないと・・だけ思えば、過剰適応となると思う。それ故 多少鈍いから仕方ない奴と思われる方が、日本では生きやすい。
何でも器用にこなすより、不器用あるいは不得意と思われている方が、助けてもらえて・・・良いと思っている。
人生 努力していれば・・半ばOK 成果・評価はその後と思っている。