ばか正直に生きてはならない。正直者が馬鹿を見るというようなことは世の中に多い。だが「ばか正直気風」に生きることは大切なことである。言い換えれば 素直でお人好しであるが、騙される覚悟を持って生きることが大事だと思う。
人には添うて見よ馬には乗って見よ(ひとにはそうてみようまにはのってみよ) のことわざ・慣用句がある。何事と言っても良いが、人とも親しくつきあってみなければ、その人の本質はわからない。同様に馬の良し悪しも分からない。何事も実際に試してみなければ本当のことがわからないということである。
おじさんも先月から家庭菜園に力を入れているというか?朝夕 水をかけ、草抜きなどをしている。なかなか手間のかかることである。2週間もすれば耕して草を敷き込んだところに再度草が生えて来る。やってもやっても繰り返されるが、これが自然・普通なんだと分かればそんなに負担にならない。予定では畝(うね)を作り月末から苗を植える予定であった。
今まで遅れ遅れで苗作りしてきたので、秋のブロッコリーなどソロソロ機先を制したタイミングでと考えている。農作業をしていると、仕事同様 それなりに手を抜けば手間が更に増えることを学んでしまった。仕事だとリカバリーは早いが、植物のリカバリーはゆっくり自然であると言うことを特に思う。
律義者
天下の律義者と呼ばれたのは 前田利家・徳川家康ということが有名である。豊臣秀吉の没後は徳川家康は公然と権力をふるい、前田利家は徳川家康側に走りました。一時は両者とも不律儀者と言われましたが・・時の流れは勝者に有利で・・いつしか徳川家康は天下一の律義者とされました。
人間関係を重んじ、忠義を尽くして組織をまとめ上げる姿は、世知辛い現代だからこそ学ぶべきことかと思います。人の評価など・・後の後・・人間の要素は自分が決めます。裏表のない誠実な性格であれば良いかと思っています。それ故 ばか正直も人にとって大事な要素と思いますが、それだけではと思い「ばか正直気風」に生きることが大事と思います。
同様に「律義者風」に生きることが大切です。あくまでも律義者でありたければ、人の心ない言葉など無視し、騙されても良いと生きる覚悟がないといけません。
乗馬
おじさん 普通しないような体験をした事があります。小学生の頃 馬に跨ったりして遊んでいました。子供にとっては体高が高く、並足程度のスピードで結構怖かったことを覚えています。はみ(くつわ)に手綱付け、鞍なしでたてがみを掴んで飛び乗るようにしていました。鞍なしなので足で馬体を締め付けないと・・落馬しそうになったり、尾てい骨その他に馬の背中がぶつかり痛みが走ります。
馬はおじさんが乗ると 柵を出て適当に草をはみながら散歩させて貰えると思うのか?喜んで手綱付けの際は顔を寄せ、たてがみを掴んでも嫌がらず乗せてくれました。跨るといつもの草場まで並足で楽しそうに走っていました。反面おじさんは落馬しないようにつかまるので精一杯でした。
ところが帰ろうとすると・・嫌がりなかなか帰ってくれませんでした。そんな時「馬の嫌がることもしないといけないことを おじさん(大叔父)から教わりました。手綱を一杯に引いてバックさせたりするのです。
なんでもやって 体験すれば分かります。馬も同様 接していれば理解できます。今思えば犬の散歩の延長線のような乗馬でした。馬が散歩したくて、乗せてくれていたのが真相かもしれません。
自分の知らないところでも 自分に都合良く変化すると思い、楽天的に生きるのも人生の送り方です。おじさん 知らぬが仏で・・もう65年以上経ってしまいました。