ガソリンスタンドで給油している客を見ていると、何気ないポージングを見ているようで面白い。給油中はただカチット止まるまでレバーを握っているだけなのだが、なかなか多彩である。ご自身が給油される際などに、周囲も観察いただければご理解いただけると思う。

暇で監視カメラ画像を見ているだけだと・・ろくなことを考えていないように思い出した。一昨日「無駄」について考え過ぎたか・・下手な考え、休むに似たり・・と浮かんできた。

考え方は基本高邁である必要はないと思う。感じるままに考えれば良いが・・それに 人に話さなければ考えてないとしか思われない。心の自由を満喫すればよい。

ことわざ

「下手な考え、休むに似たり」と碁や将棋で、下手な者の長考は、時間を浪費するだけで、なんの効果もない。 相手が考え続けるのをあざけっていう言葉がルーツなんだけど・・最近は「馬鹿の考え、休むに似たり」を聞くようになった。国語と言うか言葉の変化なので、どうこうは思わないが一応は確認する。タイトルも「馬鹿」で決めてしまった。

実用日本語表現辞典では「下手の考え休むに似たり」という言葉を元にして生まれた、愚かな者がいくら考え込んでも妙案など浮かばないということを意味する語 と書かれている。

言葉は変化して「馬鹿の考え、休むに似たり」となって行く。変わりゆくなかで流されながら今日も新たな視線が分かったことに感謝したい。もちろん 感謝する先を書き、特定しないのが大人の知恵である。

積み重ね

考えは「積み重ね」で出来てくる。

「AだからB、BだからC、よってAはC」みたいな考え化を、ひたすら積み上げて答えを導く。

もし「A=Cと言えるだろうか?」と迷ったら「A=?」を考えないといけない。

しかし思考が下手な人は「本当にCかな?」と迷います。昔 考えたことなので、経過を忘れてしまい 判断材料ネタが浮かばないので、答えはなかなか出てきません。別のところで別の物を探しまくる つまり「休むに似たり」に到達します。最初の開始段階でコース取りに失敗しています。

別のパターンとしては 積み上げが出来ない場合もあります。

例えば「A=B」を見つけたら、次は「B=C」かどうかを考えます。「B=C」が証明出来れば「A=C」も成り立つからです。思考が下手な人は「A=B」を見つけたら次は「A=D」を探そうとします。さっき見つけた「A=B」は置いといてです。そして「A=D」を見つけても、繰り返していくだけで、最終的にCに行きつくことがありません。これも考えているのに永遠に答えが出ないパターンです。「思考の積み重ね」が出来ない場合も、どれだけ考えても答えには辿り着けません。

従って大事な問題は思考法なので、どう馬鹿を定義するかによりますが、「学校のテストで点が取れるかどうか」とは関係ないと思います。

身近な出来事に例えて考えて、平易に考えれば良いと分かることが大事です。

「馬鹿の考え、休むに似たり」と言われぬように心掛けることが必要です。そして「積み重ねの訓練」を常に行うことかと思います。

投稿者

おじさん

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