本日は昼食ついでに、孫のカブト飾りの精算を済ませた。昨日 子供から注文したので支払といてと連絡があった!電話一本で済むのでお気楽で良い立場である。しかし 何れ同じ役目を果たすのが見えるので、何も言わない。順繰り・順番と分かっておくことが大事である。
孫とフェイスモードの会話だったので、ホワイトデーのお返しイチゴで良い?と言ったら、そちらの方に食いついて来た。間もなく1歳となるのが アウ アーウ言ってきた。理解できたのか?イチゴ好きなのか?爺バカが頭上で舞い踊る。お金も考えず 条件反射で、友人のイチゴ農家に発送をお願いした。
その後 兜飾り販売店に連絡したが、営業時間と担当者の帰宅ということで、本日の昼前にということで調整した。
奥さんが 苗字を名乗ったところ、急ぎ店員は台にカブトをセットして見せてくれた。奥さんは子供からの写真にてチェックしていた。メーカー仕様のままだと、小上がりの畳台に鎧びつを置いた形になり、ひな人形より大きなスペースとなるので、台を店オリジナルの収納可能タイプに変えた形にしていた。店員の対応から 多くの家では奥さんが決定権を持つところが多いと推察できた。
配達日も決まったので ジイのお役目の一つ解決である。カードで支払いを済ませた。
引退隠居してもお付き合いは欠かせない。田舎暮らしでは 伝統的に冠婚葬祭など各種交際・行事は単純に辞めることは出来ない。
しかし 時代の流れというものか、鯉のぼり・張り子のトラ・名札などいらないということで、時代に感謝である。あったらあったで、飾るのが大変になると想像できる。
下駄を履くまで
何事も手仕舞いするまで終わりではない。ウクライナに侵攻したロシアも同じである。戦闘が終わり、撤退まで上手くやれて評価が決まるが、現状ではこれだけウクライナの人々から恨まれては戦後処理は難しいとしか判断出来ない。マキャベリの君主論に曰く「民衆は邪魔だったら消してしまうに限る」を地で行くようなことをこうも長くやってはどうにもならない。
勝負はどう決着がつくか、最後の最後までわからない。「下駄を履く」は「物事が無事終わり、帰る支度をする」という意味となる。つまり、勝負を優勢に進めている人に対しては「最後まで油断するな」という警告として、劣勢な人に対しては「あきらめずに頑張れ」という励ましとして使われるのがこの言葉である。
しかし勝負というものは、途中である程度結果がわかるものであり(選挙なんて、開票直後に「当確」が出たりなんかする)、したがってこの言葉も、ほとんど負けが決まっている人に対して無責任に使う方もいる。だが全体を俯瞰していない見物人が自分の満足のために(無気力な戦いは見たくないというような)訳で、言うのはいささか嫌悪する。
最後に以上と意味は異なるが、学生の頃は 赤点取って、下駄をはかせていただいた思い出がある。「下駄をはかせる」とは見かけをよくするだけで使われる。
万事 下駄を履かずに過ごしたいと思う。残りの人生も 身の丈にあった生き方が大事と思いつつ、本日も散歩に出かける。