この世には本人が思うほど 評価されないことに振り回される人間が多い。また実行できなくても、しなくても別段の変化が生まれることもないのに、こだわりを持つ方もある。
ご本人は真面目な顔で「こだわり」というが、実行した結果が他者を圧倒的に引き離すレベルであれば納得する。しかし 似たような結果であればそう大したことと思えない。
なお 本人のこだわりのやり方でなければ、ミスが出やすいとか・短時間に完了できない・フェイルセーフ目的などの裏付けがあれば、話は分かる。
また趣味趣向の範囲と思えるものは口出しなどしない。無粋というものである。
多くのことは出来なくても命まで失うことはない。その場で命が「ジエンド」となるなら話は別となる。多くの場合 好きなやり方でやればよい。成功すれば 後の参考にもなり、誰に迷惑を掛けるでなし、やったもの勝手である。失敗しても納得がいく幕引きが出来る。
経験として どんな状況でも「いつも通り」出来ることが最も良い。千尋の谷(せんじんのたに)に渡された板の上で、恐れず地面に置いた板を渡るようになれば最強である。だがそんな命知らずなことは、普通出来ないのが当たり前である。でも2mの高さなら危険も少なく、訓練次第で可能と思う。普段からいかに心を保つ訓練するかが成否の分かれ目である。
やり直し
例えば入学試験での合否が直接生命を脅かすことなどない。戦場で逃げまどい 鉄砲の弾が飛びかう中であれば、逃げ場がないと命を脅かされる。入学試験での失敗などは 大学を卒業後5年以内にリカバリー出来そうなことが多い。それでも卒業後の人生で辛酸をなめる恐れがあると想定できれば、浪人をして再チャレンジも良いと思う。
いい加減に十把一絡げ(じっぱひとからげ)に見るのを止めるべきである。命にかかわらずリカバリー出来ると判断できれば、無理をすることはない。思い詰めることもしなくてよい。逆に思い詰めるから、自身が委縮して結果は増す増す悪くなる。そうしてやり方などを再チェックして納得できる方法でやり直せば、時間も掛けなくてもリカバリー出来ることが多い。
なお再チェック時 従前にこだわり、遠回りを恐れてやり方を変えられず、結果は努力が報われない方を多く見てきた。何事も虚心坦懐に考えることが大事である。
個人であれば家族とお金に相談すれば事足りるので比較的リカバリーは簡単である。別段の準備は要らないが、冷静な原因分析と対処法を出すために、本人の意識の変革は必須になる。
会社などチーム・組織であれば個人の様にはいかない。チームでの動きとなるので、やり直す際は最初からの仕切り直しを目指す。下手に前にしたことを手直しして再開すると、意識の統一が計れず間違いが起きる。人間の前例踏襲・ワンパターンになりがちな悪さが出て来る。メンバー全員の見直しまでやらなければいけなくなる。
命懸け
しばしば「命懸け」と表明する方がいるが、本当に命を失うことはほとんどない。しかし チームで「他が言うのよね」と引きづられることは多い。無理矢理 盛り上げているのに水を差すことは、普通おバカな仕業である。日本人ならまずやらないことである。
おじさんは「空気」だよねと割り切ってよいと 思いながら生活している。やはり「空気」の研究は欠かせない。そして改めて「空気」の怖さを思う。
ある意味「退路を断つ」に通じていると思うが、本人に実力がなければ情けないことにしかならない。「命懸け」と表明する際は 考えてからと思う。