おじさん「なごり」と言う言葉が好きと言うか、その風景の中に溶け込むように 昔から残ったもの、残されたものを見るのが好きである。漢字に変換すれば「名残」と出て来るがどちらかと言えばひらがなで表記された方を気に入っている。

今の季節になると思い出すのが「なごり雪」と言う歌である。おじさん達の青春ソングと言ってよいかもしれない。次に来るのが「木綿のハンカチーフ」という歌である。

どちらも地方出身と言うか?学校を卒業した直後のタイミングを狙っているので、おじさんでも多少なりとも、残して来たもの あるいは捨てて来た思い出・未練につながってしまう。

メジャーな楽しいこと、マイナーな苦しいこと おじさんも これらもたくさん心に降り積もったことを思いだす。しかしこれからも更に降り積もることを願っている。散歩しててもキョロキョロ なごり探し。おじさん 老いても心は欲張りです。

それにしても今年のなごり雪というか寒波・・強烈のようです。

石垣

高校の前に城があり、通学時天守を見ながら学校に通った。おじさんの子供も同じ風景を見ながら通学していた。一応天守は数少ない築城時からの天守であるが、いかんせん小さ過ぎ もう少し石垣に比例したものを作っておけと言いたくなるようなものである。

各所に隅櫓(すみやぐら)が建てられたとおぼしき石垣がある。石垣を見上げながら、姫路城の如く 狭間(さま)の多い土塀が巡り、各所に櫓を立てた姿を頭に描きながら見ていた。

学生時代は今の季節が来ると、内堀周回でマラソン大会をする。平地だけなら良いが、天守廻りまで駆け上がる。そして休憩もなく下るだけなので、風景などを楽しむ あるいはなごりを感じる余裕はない。大人になってゆっくり廻り「なごり」を感じた。なごりを感じることは、大人になってからの感性である。

また城の下には、おじさんが高校に通っていた頃は レンガ作りの兵舎などの一部が残っていた。さらなる昔は武家屋敷が並んでいたらしいが、明治になって取り壊し駐屯地などが作られたのことである。

今は完全に官庁・公園など他に転用されているのでその面影はない。城の周囲には旧軍施設のなごりをよく見る。例えば 姫路城は今でも内堀に面した裏側に同様のレンガ作りの建物が残っている。旧軍設備が残るのを知っているのは、ぐるりと城を一周しないと分からないことである。正面から城を見ただけでは判らない。こんなことにもキョロキョロ探す性格が出てくる。

書きながら 後日 懐かしい城の公園に 兵舎なごりの礎石でもおいてないか、役所に行った帰り道 暇があったら探してみたいと思いだした。

同じようなことだが、街の片隅に意外な「なごり」が 隠れたように残されているのを 散歩している途中に見つける。昔の姿・出来事が脳裏によみがえり良いのだが、徐々に消されている。

年金

年金も「なごり」である。年金は国民の福祉のために出来た制度ではない。基本的には戦費調達を目的に、ドイツで作られた。戦争で多くの国民が無くなることまで予測し、生き残った少数に給付するのだから破綻の心配はないと作られた。ところが現在は 先進国間では戦争などで戦死する人間が減って長寿化しているので、昔の考えのまま運営すれば 年金は破たんする。

早めに徴収額を大きくし、北ヨーロッパの如く高福祉国家となるなどしかない。国民の長寿化、人口減少などもあり、従来のようなルールで運用すればダメになる。制度的名残との決別しか手はないように思う。

年金の改正は 子供との約束のようなもので、自分たち老人に多少不利があっても仕方ないと思っている。なお おじさんなどは年金が少ないから、言えるのかも知れない。他の方の意見までは判らないが、そう思っている。

改めて室生犀星(むろお さいせい)の詩を思い出す。「ふるさと」を「なごり」ともじって考える。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

おじさんは現実主義者なので「心象のなごり」は好きではあるが、それだけで終われない。自分でも難儀なところかと思いつつ、今日も自分の性格を楽しんでいる。

投稿者

おじさん

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