人生百年とよく言われて 生命保険のCMもよく流れる。おじさん自身の覚悟していた人生の最長は85年である。父と父の友人の方を見送り、そして近所に住む恩師の様子などを参考に予想した。今から25年ほど前であった。当時の平均寿命は男性75歳程度であったと記憶している。父はガンで早めに旅立ったが、父の友人は70代後半まで。そして恩師は90歳を過ぎたがお元気である。
なぜ自身の終わりを予想したのかと言えば、年金を見直して将来に備えるために会社を興し、いくらか目途が立ったので、具体的将来の姿を考えた。正直余裕が無ければ、日々の暮らしに追われそんなことは出来ない。
65歳と言わず死ぬ直前まで働くのは父達の姿を見ていたので当たり前と考えていた。そうなると隠居生活は20年と想定した。昨日「想定外」について書いてるうちに、人生想定外だらけである。誰もが思うような人生が巡って来ることはないと改めて思った。皆 一緒である。いかに想定外のことを乗り切る覚悟と工夫があるかと言う事が、差を生む要因と思う。また想定と言う名の「ゆめ」があるかどうかも大事である。自分自身を知らず知らず 静かに変えてくれるものである。
子供の時代は95歳以上であろうか?そうなると隠居してからが長いので、今から工夫・考えなど持っていないとつまらない人生を過ごすことになる。歳を取るとクドクなると反省しながら書いてしまう!。
人生を語らず
老後の理想を考えると・・お金も適当にあり、健康であり ある程度の運動も過不足なく出来る。そして日々楽しく未来に希望を持ち生きていければ良いと思う。
おじさんの生きて来た時代 日本が豊かになる過程であり、老後へのイメージも変わっていったと思う。従って誰もが持っている老後の理想もこれからも変遷していく、あやふやなものと思っている。
最近は「豊か」の見方が変わっている。おじさんの子供の頃はお金を自由に使えるなど欲望に忠実、直接的なことが中心であった。ところがバブルの時代が終わり掛けた頃から 心の満足に向かっていった様に思う。お金が無い悔しさを紛らわすためなのか、お金を使っても満たされないものを体験した結果なのか、個別の理由は分からないが変わっていったと思う。
それでも あいも変わらず 物事を「隣の芝生」的に考えることが出来ない方々もたくさん残っている。
人それぞれの感性の結果であり、「こだわり」がその中心にあるように思っている。その為 多種多様に見えるが、行動原理のスタート場所は同じところかと想像している。そして体験するうちに自らにフィードバックして変わっていくのが常なので、段々 変化していく。これで良い、成功だと思えばしばらく留まるのが常であるが、短時間で変化することが多い。
新境地などと名前を変えて、新たな考えが生まれて来る。体験の基づくのか?うつろい行くのが人間である。SNSなどを見ていると 速く変わらなければいけない気がしてくる。そんなことを考えていると、人間とは変わるものであり 且つ ぱっと見は多様に思えても基本の出発点、原動力は大差ないと思える。
大きな要素は夢を思い続けられるか・持ち続けられるかと思う。持っていれば人間不思議なもので、アイデアも湧いて来る。人は静かに変っていくのである。
ここは変り行くおじさんも「今はまだ人生を語らずとしますか!」などと誤魔化したい。お茶を濁して、教えないのではない! おじさん自身がこれからも変わっていくし・・人生の楽しみが減るというものである。