40歳の頃 65歳引退 寿命85歳と考えた。老後20年間所得なし、国民年金が奥さんと2人で10万円であれば、毎月生活費の不足10万円以上が20年となる。老後資金計算すれば2400万円となるが、おじさんの葬式代と奥さんのおじさん亡き後の生活を考えると3000万円は見込まないと考えた。果たして老後資金は都合がつくのかと言うのが本音であった。

子供が一人なら考えることもあまり無いが、子供3人が大学進学するということを想定すると老後資金不足は確実に見えていた。それに一人ぐらいは大学に行かないのも出て来るだろうと想定していた。残念ながらと言うか・・全員が大学・院などに進んで・・ここでも想定外以上の結果を見た。

年金を国民年金から厚生年金に代えて毎月10万円以上を確保するしかないとの考えとなった。フリーランスで会社を立ち上げ、年金を厚生年金にした。そのため 同業者の給与と言うか給料を聞いて羨ましくも思ったが、考え方の違いで生まれたことと割り切った。現在の年金額を比較すれば、おじさんは彼らの倍以上貰っていると見込んでいる。

経済全体もバブルが終り長期の停滞に入っていたので、年金のような形で国民の平均所得あるいは物価などにスライドする公的年金でなければ20年は対応できないと思っていた。それでも、団塊の世代通過後の年金額見直しがあり、毎月10万円の増額目標はいく分減額された。勿論 想定外である。

想定に近かったのは 受注の大半を占めていた仕事先の造船業の一気の凋落である。それだけにあと数年は「それなり」でいて欲しかったが、コロナで一気に中国・韓国・日本・欧州のシェアバランスが崩れていった。致し方のないことである。それまでに雪崩のごとき不況の洗礼を受けた企業での 同級生の進退を見てきていたので、休業もそう悩むことではなかった。年齢も来ていたので、去ることが一番と思えた。

子供も社会に出たので、これからはと・・稼ぎを老後資金とする予定も外れた。つまり半ば想定外であった。

まあ 子供に言っておきたいが「人生は想定外が付き物である」ので早めに考えるべきとは申し送っておきたい。また医学の進歩により子供の時代は90歳を超える予想が多い。従って隠居期間は当然長くなると考えられる。想定外なことがおじさん以上に発生すると見込める。覚悟を決めて生きていかれることを祈念する。

付け加えて おじさんも65歳過ぎてバイトしている。「人間到る処 青山 (せいざん)あり」との言葉がある。おじさん大望などないが、人生を楽しんでいることは分かる。流れる雲を追いながら・・と言う感覚である。想定外のバイトしながら 先が長いと良いなと思うことがある。当然だが 明日は誰にもわからない。

継続

おじさんは自らの事業の会社寿命を30年と想定し、子供に継がせた場合 事業の継続性に苦労すると判断していた。その為 以前書いた通り、子供には自由にやって貰うと決めていた。会社の資産その他は使えるなら譲ってもよいと考えていた。しかし会社設立について法改正があり、有限会社を維持しても継がせるメリットは社歴のみと判断し、将来的には解散する方が良いと判断した。

またポリシーとして ペーパーワークカンパニーであるべきと思っていたのも、解散を軽く思えた原因である。ソフトウェアなど知財を扱う会社も同様である。サラリーマンとして就職したり・関わった場合は、会社に対してそれなりの考えを持っておくべきである。

話が外れるが、自分で作ったものなので人に憚る(はばかる)ことなく、会社をやめれた。代をまたいで継いでいれば葛藤もあると思うが・・・この辺りの決断 軽あ~るく出来るものと分かった。子供も自分が作れば判ると思うので、中国の毛沢東時代の標語「自力更生」であることをお勧めする。

もしも 子供が事業を始める場合もおじさん同様 家族・孫の負担・将来性を考えるようにはして欲しい。しかし事業の継続性に問題なく継続出来ても、家族(孫を含む)の能力・希望・意見を聞いてやって欲しい。

子供もその家族も お互いが長く良い関係で人生を送ることを祈念している。勿論 人として思うままに生きるのが、制約されて生きるより楽しいと分かっている。お互い自分の人生を楽しみながら生きることを工夫されたい。

投稿者

おじさん

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