昨日奥さんが料理の計量計の表示が出ないと言って来た。落としたりしなきゃ、電池なんじゃないと言って裏に返して電池カバーを外した。ボタン電池なので 番号控えて100円ショップで買って来ればと言った。メモ帳を持って来たが何を書くのかが判らないようで・・・迷っているので「CRハイホンで番号書いてない?」と言うと読み出し記録した。
最近何かにつけて「一人になったら」と言って頼んだことを逃げるので、おじさんも同じように「一人になったら」と言って返したら、少し怒った顔をしていた。
電池を触っているうちに接触が良くなったためか一時的に回復したようで・・・まあそのままにしておくのが良いとTVをONにした。さてさて 「お互い様」これからどうなるか観察しましょう。
そう言えば 中国の広報官による「日本に対して 恫喝めいた忠告・要求」品の悪い事限りなし。彼らはリスペクトと言う感性はないと思われる。聞いていれば外交上ボイコットした国の民主主義を批判している。そんな彼ら自身の政治形態が中国共産党員内だけの民主主義と言うのが正確な表現・形容である。まあ 御しがたい。
補足するが おじさんは相手にリスペクトという心が無ければ、付き合う価値のある相手ではないと思っている。対人関係を何とか良好にと悩むより、お互いの心底を見た方が良い。無駄な時間は使うほど人生は暇じゃない。変えれるのは自身だけであり、下手な努力をしても相手は変らない。
そこに時事通信などが 中国に日本政府の配慮あってしかるべきとのニュース。以前 中国が同様のボイコットトラブルを起こした時も 日本だけが配慮したことなど忘れ、過去に無かったと言うように勝手なことを書き連ねる。マスコミもお仲間か?としか思えない。
おじさんが奥さんに同調した子供からいわれのないこと聞いたのと同じような心で、マスコミを見ている。中国 のど元過ぎれば・・また戻ると思う。都合の良い人々である。
家事がある
奥さんの必殺のセリフが「家事がある」である。これは何処までが家事であるのか、奥さんの行動を見ていると思う。自分自身のこと、孫に関することも家事なのか?と疑問に思うことが多い。
不平等と言うのであれば、お金も含めて分担を決めて生活しているので、全体を見渡せば良いのだがそうでもない。以前も書いたが おじさんがバイトに行く際 色々食材を買て来て冷蔵庫に入れたりしている。知人の方が奥さんが帰って来る前に、旦那が味噌汁・炊飯を準備しているのを知り、羨ましがってヤイヤイ言われた。その際は 夕食の準備を助ける食材について おじさん金銭に換算して言い返したが、本質的にはわかっていないと思う。
またおじさんが早く帰った時は洗濯物を取り込む、風呂の用意をするなどはしている。単純に自分の都合の良いことを並べても そうも言う事は聞けないとしている。
配当金生活
話を変えて説明するが、この辺りの考えはマツコの番組でよく見る桐谷さんの生活を見ていると考えが沸いて来る。 桐谷さんのように 配当金で生活するためには、いくらの資産を持てばよいのかと単純に考える方が多いと思う。それ故 運用を何%でやるのかと言う事と運用資産額により決まると思いがちだが少し違う。
運用する方の価値観・生活観・地域によりリスクの取り方が変わってくる。たとえば3000万円を年利換算2%、3%、5%で運用した場合、60万円、90万円、150万円となる。リスクは勿論年利が高いものほど高くなる。また株主優待があっても田舎では店舗も少なく使えない。自転車で走れる範囲では消費出来ないことも増えるし、無駄なものを手に入れる可能性も高い。従って田舎であれば 多少リスクがあっても5%を目指し、都会では3%でも優待券の付いたリスクの低いものを利用する可能性が高くなる。
サブスクリプション・サービスも同じである。動画配信など どこでも時間制限などなく、ネット環境があり、視聴出来るなら田舎でも簡単に受容できる。しかし宿泊・遊園地などであれば田舎からの距離・交通機関などにより制限される。時間と距離を超越したサービスでなければ、田舎の老人は利用することも出来ない。また歳を取ると 肉体的にも無理が効かず、一定のパターンで生活し出すので時間に限りもある。
ここからが奥さんに伝えたいことだが、人が生きていればそれぞれの立場で考えていないと、気持ちよく暮らせない。昔から隣の芝生は青く見えると言うが同じである。
都合の良い所を線で結んでも・・・と思っている。お互い相手の立場・考え方を尊重して考えればこそ、人間自身の不利益にも目をつぶることも出来る。
この辺りが他人をリスペクトして生きることの大切さと思っている。そのせいか他人を尊敬・尊重出来ない つまり他人へのリスペクトをしない者とは付き合うのは躊躇する。お互い様と 今一度違う視線で考えると新しいことが見えて来る。
子供も対人関係で悩むこともあるかと思うが、大事な要素は相手と自身の心にある。お互いがリスペクトできなければそれなりの付き合いで済ませばよい。それが対人関係に悩まない基本である。