言葉の意味は 数値の加減乗除算を繰り返された結果、あるいは何もしなかった結果、ゼロになることを意味する。数字では±0とも表記される。実際の数値に限らず、総合すると損得が等しくなる物事などを指して用いられる。マージャンなどのトップを決める点棒を見せながら良く、「 プラマイゼロ 」と言っていたことを思い出す。

そう言えば40代以降 友人と集まって雀卓を囲むことも無くなった。そう考えると40代も仕事&家族の関係から友人と関係が薄れる時期である。そして60代後半になり また友人との関係が変わっていく。

人生終了するときもプラスマイナス・ゼロであれば良いと思う。映画の一節のようで・・・ダンディズムの極致な気もする。理想であるが叶うかどうかは神様・仏様が知るのみである。

電気屋さん?

正式な会社名は プラマイゼロ株式会社(東京)らしい。扇風機など小型家電製品を作っている。調べるとコンセプトの要約は

・「ちょうどいい」かたち・・・流行に流されすぎず 長く使っていけるかたち。

・「ちょうどいい」大きさ・・・やや小さめ。欲張りすぎず 適正のサイズの心地よさ。

・「ちょうどいい」価格・・・欲しいと思った時に手が届く 手頃な値段。

・ プラマイゼロ の製品は その名の通り ブレなく人の好みの揺れの中心にありたい。

・人の矛盾する欲求の中間にいて いつも中庸でありたい。

中々説得力のある文章が並ぶ。ふむふむ なるへそねとうなずいてしまう。

おじさんも「かく在りたい」と思いつつ生きているが・・・簡単なようで なかなか難しい。

中庸

儒教の四書(ししょ)は、儒教の経書のうち『論語』『大学』『中庸』『孟子』の4つの書物を総称したもので、はるか昔に学校で漢文の授業で習ったことを思い出す。世間一般では 過不足がなく 調和がとれていることを指した言葉である。

中庸(ちゅうよう)は目指すべき生き方&あり方とは思うが、簡単ではない。例えばギターなどをチューニングする際 おじさんは絶対音階などは持ち合わせてないので チューニングを大きく操作して、さーどっちとやりながら徐々に細かく合わせていく。差異が大きくないと凡人のおじさんには判定が付かない。

時に極端に偏った思考に陥ることもありながら、振れ幅を小さくするようなものである。「中庸」までの道のりは まだまだです。

そうしているうちに 人生は プラスとマイナス 幸も不幸も 混ざり合って 最後には 帳尻が合うという気もする。

さりながら「論語―為政」に出て来る耳順 六十にして耳順う(六〇歳になると、修養が進んで、聞いたことを素直に理解できるようになった)というが・・未だ判らないおじさんである。

ということで 先は長いと思いたい。

投稿者

おじさん

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です