親ガチャを書き終わりアップした直後、息子の小学校時代の同級生に思い至る。温厚であった息子が初めて喧嘩をしたときである。当時おじさんPTAの役員していたので、先生から呼び出され、状況について話し合った。そんなとき判ったのは、転校生が他のクラスメートともぶつかっていることであった。話していくうち 彼をどう助けるべきかと言う話になってしまった経過を思い出す。
おじさんは 自分の夢を早々脇に置き、働き出したので迷うことは無かった。恥ずかしながら某大学落研に所属し、ある師匠の後援会会長から師匠を紹介いただき、プロへの登竜門は開いていた。入門していれば おバカな大学生活を送っていたので、中退は必至であった。
色々考えたが、堅気の仕事で普通に暮らすことを選んだ。改めて決意したおじさんに、今は亡きゼミの教授が他の教授に頭を下げ、勉強をやり直す機会を作って頂いた恩を忘れたことはない。
恥ずかしながら・・・若い頃は おじさんも夢追い人でした。
父はロッカー
彼の父の夢はロック音楽を追いたいというものであった。奥さんがパートに行きながら一家を支える形であった。そんな訳で彼の父を羨ましく思った。反面おじさんも歩いた可能性があるので「がんばれ」と「今更ながら」と二つの思いが錯綜した。
しかし おじさんの判断は、一家を挙げて親元に逃げ帰った以上は 彼の父は夢をあきらめるべきと思った。都会から逃げて帰ればチャンスは半減いや無くなる。それ故「けじめ」を付けないで 舞台に立てるチャンスがあるからと 家族に負担を掛けながら出かけていく父親 そしてそれを許す母親の存在。そしてその狭間で 無力な子供が取り残されているように思った。
その後 他の子供とのトラブルも多発し、しばらくして転校していったのでその後の経過は知らない。他の同級生の父母から教師に連絡などがあったようである。
おじさんそんな出来事があったのを思い出し、トラブルを起こした息子の同級生が「親ガチャに恵まれず」と言うことは当然と思う。
夢追い人は難儀
子育て中 親が夢を見ることは否定しないが、その追いかけ方には節度が必要と思う。一度は追いかけて何年かすれば、その自由を与えられたことに感謝する。正直一定期間にモノになるかならないかを決めないといけない。人の面倒を看る責任が無ければ続けることも可能だが、最低子供を持ったら覚悟は決めないといけない。それは子供の夢を潰していくことに半ば等しい。
才能と売れることは別のものである。また人に受け入れられる才能もあれば受け入れられない才能もある。時間と人が変われば変わる可能性があるが、どうなるかは誰にも判らない。
子供が自由に夢に向かて生きたいとしても、親の経済力・親の生活力その他の要素で制限を掛けない様に勤めるのが親の役目である。おじさんの父は生まれて3度目の養子先がおじさんの家である。昔は日本全体が貧しかったので、口減らしのためと聞いている。貧しい時代で子供が大きな夢を見れない時代でも、親戚を頼り生きていくことだけは確保しようとした。時代が違うが「親の役目」ということは認識しておきたい。
夢追い人は難儀と思う。
取り敢えずおじさんの夢は「ピンピンコロリ」なんでなんのトラブルも起こしません。夢に問題があるのかもしれません。レベルが低すぎがあるのかな?と思ったりする。