おじさん 給油口に車がいる場合は注意しているが、最近は夏休み終了とコロナで夜間の車両台数が減ったためか、夜の時間帯はしばしば空白の時間が発生する。通常は その時間は清掃・巡回などに利用しているが、時間が長くなることがしばしば発生するようになった。

お陰様で空いた時間に ショートエッセイと言うか、枕草子を読み出した。読み出したきっかけは、孫の唱えた暗唱による。別段 孫に負けるもんかと言うのではもとよりなく、懐かしさからである。基本的に古い日本語なので心の片隅に何とかなると思っている。多少いい加減でも読めれば あるいは理解出来ればと思っている。

祖先が奇跡にも近いリレーをして頂いたことで、手元に古典があることを感謝しながら・・・読ませていただきます。投げ出さず最後まで 読むぞ!

孫の暗唱

孫が以前は落語 寿限無を唱えていたが、今年のお盆には「春はあけぼの・・・」と始めた。聞いて見ると幼児番組の間に枕草子の一節を読む場面があるらしい。ジイは「冬はつとめて・・・」と振ったが 孫は続かなかった。まだそこまで行っていないと 子供から聞かされ、聞くのが悪いように言われてしまった。

おじさんも学生時代暗記していたので、この歳が来ても口を突いて出て来る。ボケだすと過去だけをことさら思い出し、近日のことを忘れてしまうという。妙に深く、変に考え過ぎると落ち込むので置いておく。

結論は 取り敢えず!枕草子を読もうと思った次第である。

学生時代と違う

学生時代は受験と言うか試験で出て来るような目的を外して、下心・スケベ心なしで 好きに読めるので結構面白い。

今回の枕草子読みでは、清少納言が憧れるキムタクのような方がいると分かった。また「亭主 元気で留守がいい」と思っていた節が垣間見えるなど 面白い。

完全な原文のみでは おじさんのような初心者には読めないが、欄外に現代語訳そして用語解説があるので読んで行ける。それに古くても日本語であるので、何とかと言うこともある。細かいところまで完全理解しなくても、8分目程度 理解出来れば良いとして読んでいる。

正直に言えば 駅近で女子高校生の会話を横で聞くより、微笑ましく 気楽である。

例えば 平安時代は個室に分かれ生活するのと違うので、マナーが現代といささか違う。また教育上はいささかと思う箇所も出て来る。ふすま一枚を隔て、お互いのマナーを保つ。近現代の生活と言うか おじさんの小さい頃の田の字の座敷配置での体験を考えると、その時代の人々に通じるものがある。

基本的に読む目的は 受験で点数を取ろうとなどの下心が無いので、自分に対して 無理やり感が無いのがまた良い。ボケ防止も兼ねて 少しずつ読み進めている。

古典が残るには

古典が残ることを考えると 紙は高価、印刷技術のない時代で書き写して読まれてきたと考えれば、今に残る作品は人の心を 揺り動かして来たと言える。

枕草子も 中宮定子が清少納言に紙を渡したことから始まる。それほど紙は高価であるから 源氏物語の文学、徒然草・方丈記などの随筆のような維持は読んだ方が、再度読みたいとの心が無ければ 書写して伝わらないし、読まれもしない。そしてそんな出来事が続かなければ 只の焚火の「焚きつけ」になってしまう。(おじさんの ブログなどは焚き付けにもならないと改めて思う)

宗教の経典でもなく、只の書き物であることを考えると、オリジナルを書いた方同様に 書写・伝承してきた方々に感謝したい。

最近こういう前提を考えないと理解出来ないことが多いと思いだした。古典全てに「訳あり」とキッチリ考えないで 伝来物を見てはならないと思っている。それにしても日本には多くの古典があることを 先祖に感謝したい。奇跡にも近いリレーをして頂いたことによると思い、ありがたく手に取らせていただきます。

投稿者

おじさん

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