本日は 孫の「お食い初め」(「百日祝い」とも呼ばれる生後100日のお祝いごと)で 先ほどまで外出しておりました。という訳でお祝いを持って駆けつけ、いろいろ楽しみ&見て来ました。そのためブログが書けずこの時間になりました。

「お食い初め」では初めて箸を使ってお魚を食べます。実際に赤ちゃんが使って食べるわけではありませんが、初めて箸を使ってお魚を食べさせる真似をすることから「箸揃え」「箸祝い」「真魚始め」(まなはじめ)と呼ばれます。地域により膳に置かれた椀類・焼き魚の順番あるいは「歯かための石」など使う順番は様々です。

入っては郷に従えで、向こうのお母さんの仕切りで取り行われました。順調に済 いと!安心というところです。

最近 おじさんお気楽と思うところが「明日何するか」「今日までに何かしなきゃ」などと思うことが少なくなりました。携帯のスケジュール表を見て、確認するというか気付くことが増えました。前日になって会場を確認するという ダラダラぶりです。本日も奥さんに付いて行って 何とかなりました。

無事是名馬

昨日 孫の近況アルバムを見ましたら、お父さんの片膝の上で安心した顔をしてました。姉が相手するというか・・・抱いた時には不安そうな表情を見せたりするので・・・弟という立場もなかなか大変と思います。

「無事是名馬」(ぶじこれめいば)馬主でもあった作家・菊池寛による造語として有名ですが、実際は時事新報の岡田光一郎によるものとの話もあります。なお菊池寛は馬を50頭持ていたとされる無類の馬好きであった。菊池が競馬関係者から書を求められた際に、『臨済録』にある「無事是貴人(ぶじこれきにん)」に想を得て色紙に揮毫していたのが言葉の始まりとされています。「無事是貴人」とは、本来「自然体の内に悟りを啓く者が貴人」という意味の禅語で、茶道において一年の無病息災を寿ぐ言葉として転用された。

また自分の孫に「貴人」と言うのもこっぱ恥ずかしいので「無事是名馬」が良いと思いました。このまま 上手く育ち名馬となることを ジイは祈念しています。

おじさんも姉がいる弟の立場で育ちましたので、姉という存在の難儀さは子供の頃から感じておりました。それも人生の一端なのでどうこう言えることなどはありません。

人生万事塞翁が馬

幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえです。また、人生において、何がよくて何が悪いのか、後になってみないとわからない。 という意味もあります。「人間万事塞翁が馬」と人生を歩むことを期待しています。

「名馬はことごとく悍馬より生ずる。」とは、伊達政宗公の言葉だそうです。悍馬(かんば)とは、気性が荒々しく、御しにくい馬のことです。

日本の中世政治史に詳しい、京都大学名誉教授の上横手雅敬教授(文学博士)によると、源平合戦の頃、武士達に尊ばれたのはおしなべて、皆、「悍馬」だったとのことです。

気性が激しい、個性が強い 当時の侍たちは、そんな馬を敬遠するどころか、逆に尊敬し、愛し、信頼関係を構築して、愛馬に自分の命をあずけて戦場に赴き、侍たちの家族は、自分たちとともに暮らした「馬」と一緒にいる自分の父の、夫の、息子の無事を信じることができました。

「調教が入りやすい。」と言えば、「素直」⇒「普通」⇒「平均的」⇒「育てやすい」。一概には言えないでしょうが、つい、そんなイメージをしてしまいます。

調教が「入らない」のではなく、馬の「個性」と向き合うことが大事だったと想像しています。

「枠に収めよう」としていたのではなく、まったくその反対で、「馬の本質」を「引き出そう」としていたのです。子どもを育てるのは、子供の個性と育っている環境で変わります。常に子供の本質を見てやることが大事なのかと思っています。

最後に おじさんが住んでいる地域では「だんご馬」を作るのですが・・・明日にでも書こうと思います。植物誌の書く時間が無くなりそうですし、もう少し本日の行動予定がありますのでご容赦ください。

投稿者

おじさん

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