最近よく使われる言い方に「二足の草鞋を履く」というのがある。現在では肯定的に用いられているようであるがちょっと前は「二足の草鞋は履けぬ」という否定的な意味合いであった。サラリーマンの副業の許可が多くなりそうな昨今に相応しい言葉である。
日本では どちらかと言えば「一意専心」優勢の時代が長く マルチタスクは低評価であった。
おじさんも15年ほど前は不動産屋と設計屋をやって、二足の草鞋を履いていました。状況により厳しいことも多いのが事実です。
草鞋
草鞋または鞋(わらじ)は、稲藁で作られる日本の伝統的な履物のである。
鼻緒が裏の最前部にあるため、足指は直接地面に付く。また基本的に使い捨てが前提の消耗品である上、アスファルトのような固い地面で使うことを想定されていないため、摩耗が著しく耐久性は期待できない。舗装されて無かった時代は、土の地面を歩く事で藁の隙間に土が入り、それにより摩擦消耗が軽減されていた。現代では舗装面を歩くとすぐに磨り減ってしまう。今では祭りの行事で 神事役に就く者だけが履いたりするぐらいである。
同様に稲藁で作られる藁草履(わらぞうり)と混同され易いが、形状が若干異なる。藁草履が現在のサンダルに近い形状であるのに対し、草鞋(わらじ)は前部から長い「緒(お)」が出ており、これを側面の「乳(ち)」と呼ばれる小さな輪およびかかとから出る「かえし」と呼ばれる長い輪に通して足首に巻き、足の後部(アキレス腱)若しくは外側で縛るものである。
格言
先にも言ったが「二足の草鞋を履く」とは 一人の人間が内容の異なる二つの仕事を兼業することである。本来は「二兎を追う者は一兎をも得ず」と同様に「二足の草鞋は履けぬ」という本来的には否定的である。
対義語は 一挙両得・一石二鳥などであるかと思う。おじさんは体験上、個人が同時に作業員となることはお勧めしない。本業あるいは副業において 何れか一方を熟練した人を作業者に使い、マネージメント・指示するだけであれば両立は可能と思う。どちらかがヒマな内は良いが、両方忙しくなった場合は非常に困難な状況となる。従って将来 副業を育てて自立する予定であれば どの様な運営をするかは目途がついた時点で考えないといけない。立ち上げ時は多くの負荷があっても辛抱できるが、期間が長くなると続かない。人間 思うほど強くない。
人生至る所に青山あり
おじさん 草履の格言で「箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」が好きである。AIあるいはクラウドサービスなどで、積み重ねて来たキャリアが無となり、就業が困難になると思い 将来を悲観する方も多い時節かと思う。格言の元の意味は「 人の身分は、上を見ても下を見ても限りがない」ということである。しかし考えを変えればどこにでも「隙間」あるいは「仕事」があることと解釈できる。今のままではダメだが、少しの変化で発生したりすることが多い。そして具体化した時 隙間に気付くと思う。マスコミに誘導される あるいは焦って考えてはだめですよ・・・。人生至る所に青山ありと言います。焦るのは 底なし沼と同じで無理をすればするほど沈みます。一寸ブレークタイムが大事と思います。
そう言えば 「歳上の女房は金(かね)のわらじを履いてでも探せ」がありましたが、姉さん女房を持つ同級生、後輩などを見る限りそうでもないようです。奥さんの許容度が昔ほど高くないので、これは時代に合わなくなった気がします。時代と人の変化は常にあり、注意深く見るか見ないかは個人に拠ります。今話されている AIあるいはクラウドサービスなどの影響はあくまでも予想です。おじさんは 想定外が起こるのが人生と思っています。