「誘い」微妙な言い回しであるが 魚釣りのテクニックである。

釣り人は魚を釣る目的のため 「誘い」あるいは仕掛けを「いじり」工夫する。

おじさん この状況が子育てによく似てるので取り上げた。

誘い過ぎ

物事は 「誘い」過ぎると碌なことはない。例えば釣りをする際 釣る魚と仕掛けにより変わる。

1.            待っていなければいけない釣り  クエ アイナメ   根魚類

2.            誘いまくる釣り         キス カレイ    底物類

3.            誘って待ちを繰り返す釣り    鯖 ハマチ タイ  回遊魚

大別すると上のようになる。原則 魚が餌を探す範囲と行動による釣法である。

これを考えないでいつも性急に誘っていては 魚が餌に付いてこられない。遅すぎては釣り糸を見破られる。

微妙なものと理解している。ここで「適当」がどこにあるか体得する必要を感じる。

釣り方について 例示的に書いたが、魚を子供に変えるとお分かりいただけると思う。

ここで再度 お断りしておくが おじさんがニアンスが近いと魚釣りに重ねてまとめた。

別段の他意はない。引用の仕方が引っかかる方もいるかもしれないがご容赦いただきたい。

以上から 子供によって親の対応は変わって当然と思っている。「誘い過ぎ」は良くない。

「誘い」は「干渉」とご了解いただいて 支障はないと思う。

なお釣りの最中は ああでもないこうでもないと仕掛けを「いじる」のが常である。

失敗することが大事

おじさんは 人に取って大事なことは「上手な失敗をすることである」あるいは 親にとっては「上手に失敗させる」ことと思っている。

命に係わるあるいは障害が発生するようなケガでなければ 問題ない。体も柔らかく 体重もないので子供単独で起こした転倒などでも結構ケガをしない。

ケガをした場合は「何かあるのでは」と 逆に慎重に 子供を観察しなければならない。

トラウマにならないことが最も良いが トラウマになった失敗は、その対処策を如何に経験あるいは学習させるかは 親の力量を問われる事柄と思っている。

失敗したら 何が原因で失敗したかと 親は子供に聞いてやらないといけない。

原因がどこにあるか判れば子供なりに工夫する。

聞いても外れたことをよく言うが また後々話せばよい。

怒ること

子供を思わず 感情のままやってしまう。こちらも 親の修行半ばのため仕方ない。やったものは仕方ない。

カバーにはなっていないかも知れないが、おじさんは「どうして怒ったのかの理由は 後付けでも説明する」ことにしていた。

効果があったのかなかったのか 子供に聞いてみたいと思うが、聞いたことはない。

奥さんは最初から「言っても分からない」と言っていた。奥さんと話しても おじさんはおじさんの基準で 基準が違うので?と思いながら、月日は過ぎ 適当に子供は大人になったと思う。

おじさん 3人の子供に恵まれたが 各々タイプが違うので「これが良い」というものはない。何とも言えない。

タイプ別に怒り方は考え工夫したと思うが、これで良かったのかと迷いがあり、満足したことはない。

思えば 子育てとは サラリ―マンが定年時に言う「大過なく・・・」のようなものである。

いろいろあったとしても、親子 何事もなかったように生きて行ければ お互い幸せである。

投稿者

おじさん

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