学校でも小学校低学年の頃は授業で紙芝居があったが、ここでは紙芝居屋さんのことです。

子供の頃 一週間に2度ほど紙芝居屋さんが来て、近くの神社境内で開催されました。

紙芝居屋の親父が 学校の始業終業を知らせるハンドベルと同じ物を鳴らして、付近を廻り到着を知らせる。

5円持って走って行くと、「型抜き」を買い、出来れば景品が付く。

■紙芝居道具

自転車荷台に 紙芝居を差し込む枠と引き出しの付いた箱がある。

ハンドルにハンドベルを吊るし、箱の横に太鼓を吊るしていた。

箱の一番上は 紙芝居の格納場所。真ん中の段は2つの引き出しに別れる。

右側に「型抜き」が入れてあった。左側は引き出してるのを見たことがないので解らない。

一番下の段になると・・右から 手前が「水あめ」「するめゲソの甘露煮」と「半切り割りばし」「するめ用の新聞紙」「ピンクのニッキ粉末」となる。

■紙芝居の有無

「黄金バット」「丹下左膳」「キー坊」 は覚えている。

他にもあったと記憶するが明確なタイトルを思い出せない。週替わりでプログラム内容は変わる。

太鼓叩きながら 声色でいろいろ親父がやっていたとの思い出がある。

小学校高学年になって、同じ町内に住みながら 紙芝居屋を見たことないというのが半分以上いた。

見たことないという同級生の住んでいる地区は、農家の多い区域と分かった。

おじさんの住んでいたところは 塩田などの労働者や商店など「日銭」がある区域であった。

市内に住む従弟と話した時 紙芝居屋の親父は 従弟の住んでいる町内と分かった。

従弟の地区も 同じような区域で、「日銭」がある地区であった。

余計なことかも知れないが 奥さんは 当然見たことないとのことである。

■型抜き

「型抜き」についても説明しないとお分かりにならないかも知れない。

澱粉、砂糖、ゼラチン、香料などで出来た薄い板状の菓子である。菓子と言いながら食べない。

板に描かれた動物,植物,星など様々なデザインの型を、針や爪楊枝などで削たり割ったりしながら、型を抜いて遊ぶ。

紙芝居屋は針などで細かく削り、型抜きするのは禁止であった。指で割るだけであった。

悪知恵の働くようになった高学年は事前に型を水に濡らしたり、時間を掛けて針を使い抜いていた。

しばらくたつとその場で抜かず 持ち帰って時間を掛けて抜き出すものが出て来る。

そして 抜けたものを持参する者が増えて来ると、紙芝居屋との駆け引きが始まる。

日ごとに 型の色を変え、抜くデザインを変えるのである。

こんな風景を見て来たので、おじさん子供が純真と言う単純さには 「はてな?」と思う。

「ガキ」の時代をどう過ごしたかで この辺りの判断が分かれると思っている。

おじさんが うがったような目線で見ることは、この辺りが原因かもしれない。

■景品

「型抜き」が成功すると景品が付くとしたが・・・

「水あめ」が倍になるか「水あめ」と「するめいか」となるか、「するめいか」が倍になるかだけである。

ニッキは水あめに付ける。親父にお願いすると付けないことも出来た。

水あめは受け取ったところから始まる。半切り割りばしが2本付いているので、こね回す。

徐々に空気が入り輝いてくる。ニッキが入っているとピンク色に染まってくる。

その後 舐めながら紙芝居を見る。お金を払ったのが前 お金なくても後ろで見ることが出来た。

小遣いがあれば前 小遣いがなければ後ろ 自然に並んだ記憶がある。

型抜きのレベルも 子供の年齢に合わせ配っていた。良い時代だったと思う。

投稿者

おじさん

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