おじさんの父は大正9年生まれ 地元の塩田に努め 20代より旧陸軍で中国満州の関東軍に徴兵され、戦後はソ連抑留。そのため日本国外での軍隊勤務 割増しで15年を超える軍歴ありとされ、昇進もしていたのでそれなりの恩給と言う名の年金を受け取っていたようです。
また復員後は元の勤務先の会社が年金を払っていてくれたので厚生年金。会社に復帰後は対人関係等で悩み退社 以降は国民年金です。
パン屋を10年したある時 酒宴にて誰かが投げた盃が頭に当たりその後 脳梗塞の症状が出て 不動産屋に転業 20年以上(おじさんの転職以上の経歴です)
父の友人の西条さん 農家の長男だった方で 中国南方にて炊事兵として勤務。戦後は即帰国出来たが、恩給等はわずか 農家を継いだので 老後の年金等は基礎年金(国民年金)と3年程の恩給だったそうです。
もう一人 飲み友達の前田さん 海軍で輸送船に乗って勤務中 足を撃たれ負傷。障害が残ったが 塩田を経営していました。そのため傷痍軍人恩給+障害者年金だったようです。
よく我が家で 3人が中心となって「どじょう汁」を作っては飲んでいました。その中で会話の端々に上るのが年金のこと。「マーさんはいいな 朝 玄関明けたら1万円」
健康寿命
70歳を過ぎれば・・・皆さん ちょこちょこ入退院するようになり、親父 西条さん マーさんの順で亡くなりました。健康寿命とはよく言ったものです。私の父もそれなりの資産は貯めたようですが 入院を繰り返すようになると多くは残らなかったようです。
その時 老後と言うのは「終わりの見えない旅路」と思いました。命の尽きるまで続くと考えています。いつまで生きるのか?次の瞬間でさえも 誰にもどうなるか分からないので どうするべきか。
基本方針
「親父の死ぬ姿」を見て考えました。性格的に「死とは」と大上段から切り込むなど思いもよらないので、「命尽きる日々」までに必要なものを考えました。
結論が「一生続けられる仕事、趣味」を持つ。「一生食いつなぐお金」贅沢は出来なくても良い。という2本柱です。子供たちは基本的に勝手にどうぞ。困らせない様におじさんと奥さんは 健康で「ピンピンコロリ」となるような生活を目指せばよい。まあ迷惑が掛かった時は子供に「ごめんしてね」とういうことで・・・
分かり安いように現行散見出来る資料でまとめます。(初心者なので表を作成し後日差し替えます)
厚生省の試算によれば 26万円/月(夫婦) 厚生年金標準支給 23万円/月
夫婦が65才から85才まで 20年 26万円×12×20=6,240万円
基礎(国民)年金で補完されるのは 20年 78万円/年×2(人)×20年=3,120万円
奥さんがさらに5年間生きて行かれると 78万円/年×1(人)×5年=390万円
以上のことから 夫婦が老後に必要とするお金は 6,630万円 基礎年金は約半分だけですので 私が自営業者のまま年取った時 何時までも働き続けないといけないことに気づきました。
そうでなければ会社を子供に継承し、続けることが必要になると感じました。これは 子供の人生にタガを入れるのと同じでダメと思い 会社として厚生年金に加入しました。会社経営上 経営規模を確保できない場合は不利です・・・が仕方ありません。
子供との関係
「会社の継承」は子供の人生を制約すること思いました。子供の時代での未来について考えましたが 自由に生きれば良いとしました。君たちは歩き始めたばかりです。長い人生 時代がどう変わり どう生き抜くか? まあ将来のこと 新たな家族のこと 老後まで想像して自身で計画してください。
最後に 単純に一生懸命働くだけでは無理なのが日本です。君たちが子供のころ「働き1両 考え5両」とお伝えしましたが・・・・どうでしょうね? これには続きがあって「知恵借り十両・・・・見切り千両」とあります。
年金などは 決めたから受給できるものではありません。自分の未来図に合わせ 今日から計画して納付して 結果は40年後です。 どうにかなると思うだけでは変わりません。